2025.11.28
宗教の罠 『これだけやった』が通用しない?神様が本当に求めている心
ヨハネの福音書 16章27節TODAY’S QUESTION
神様に愛されるために、何か立派なことをしなければならないと、どこかで肩に力が入っていませんか?
今日の御言葉
父ご自身があなたがたを愛しておられます。
それは、あなたがたがわたしを愛し、また、わたしが神から出て来た者と信じたからです。
REFLECTION
今日のメッセージで心に残った・訴えかけられたことばは?
SMALL STEPS
今日できる小さな一歩
01
自分の「行い」や「成果」ではなく、ただジーザスを信じる心によって愛されていることを思い出し、深呼吸してみる。
02
かっこいい祈りではなく、親しい友人に話しかけるように、ありのままの感情や弱さをジーザスに打ち明ける時間をとる。
03
誰かから優しさや愛を受け取ったとき、「私なんて」と謙遜を装って拒絶せず、「ありがとう」と素直に受け取ってみる。
分かち合いのために
グループや心の中での振り返りのための質問です。
- パリサイ人のような「これだけやった」という行い思考と、取税人のような「あわれんでください」という心の貧しさ。今のあなたの心はどちらに近いと感じますか?
- 神様の愛は「アガペー(無条件の愛)」であると同時に「フィレオ(友情・人間味のある愛)」でもあります。ジーザスを「親友」や「情の深い方」として身近に感じた経験はありますか?
- 聖フランシスコの祈りのように、憎しみのあるところに愛を、悲しみのあるところに喜びをもたらす「平和の道具」として、今日誰に寄り添いたいですか?
PRAYER
愛と思いやりに満ちた父なる神様。 あなたが遠い存在ではなく、私たちの弱さも痛みもすべて知った上で、人間味あふれる温かさで寄り添ってくださることを感謝します。
どうか私の心にある「ふさわしくない」という思いや、行いで愛を勝ち取ろうとする力みを取り除いてください。
あなたからの愛を素直に受け取り、その愛で満たされることによって、私も誰かの隣人として優しさを分かち合うことができますように。
私をあなたの平和の道具として用いてください。
ジーザスの御名によって祈ります。アーメン。