ここまで説明した内容をまとめて振り返ります。
ほどいてやって、帰らせなさい
ジーザスの奇跡は「人」の手を通して完成する。あなたが遣わされる理由
2026.01.13
はい、今日みなさんと分かち合いたいメッセージは「ほどいてやって、帰らせなさい」です。ヨハネの福音書11章、ラザロの復活の箇所から、神様の奇跡と、そこで私たちに託されている役割について深く味わっていきたいと思います。
1. 絶望の淵にて
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まずは、この物語の背景にある、どうしようもない絶望的な状況、死という現実の重さについて見ていきましょう。
共に歩む人生
主と共に歩まば 行く道筋 照らしたまわん
依り頼む我らに
— 讃美歌「主と共に歩まば」
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冒頭で歌ったトラディショナルな賛美、「主と共に歩まば」。いいですね。私たちの人生はまさにイエス様との二人三脚です。雲霧が消え、光が照らされる。そんな希望を持って、今日の御言葉に入っていきましょう。
死の支配と絶望的状況
ラザロの死が突きつける冷酷な現実
死後4日の経過 :ユダヤの習慣では魂が離れ、肉体の腐敗が始まる決定的時間
閉じられた墓 :冷たい石の洞穴に遺体が安置され、巨大な石で塞がれている
人々の諦め :「もう臭くなっております」というマルタの言葉に象徴される絶望
死の絶対性 :誰も覆すことのできない「終わり」としてそこに存在していた
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ラザロが墓に葬られて4日が経っていました。当時の感覚では、もう完全に「終わり」です。腐敗が始まり、臭いがする。姉妹たちも、集まった人々も、深い悲しみと諦めの中にいました。巨大な石が墓の入口を塞いでいる。それはまさに、死が命を飲み込み、支配している姿そのものです。
イエスの涙と憤り
罪と死の結果に対する主の反応
Jesus wept
聖書で最も短い一節。「イエスは涙を流された」。
友ラザロの死を悼み、悲しむ人々と共に泣く共感の姿。
霊の憤り
単なる悲しみだけでなく、心の内に激しい憤りを覚えられた。
神が造られた命を損なう「死」と「罪」に対する聖なる怒り。
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しかし、イエス様はその墓の前でどうされたか。「Jesus wept.」イエスは涙を流されました。泣く者と共に泣く方です。同時に、聖書はイエスが「憤りを覚えられた」と記しています。なぜか。それは神が愛する人間を破壊する「死」という敵、そしてその原因である「罪」に対する聖なる怒りです。主は死を容認するために来たのではなく、打ち破るために来られたのです。
2. 奇跡への序章
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ここで物語は動きます。人間の常識を覆すイエス様の命令が響き渡ります。
命令:「石を取りのけなさい」
常識の壁を越える信仰の決断
常識・現実
臭いがする
死後4日経過
触れると汚れる
イエスの命令
石を取りのけなさい
信じるなら栄光を見る
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イエス様は言われました。「その石を取りのけなさい」。とんでもない命令です。4日も経って腐っている遺体の、その蓋を開けろと言うんです。臭いもするでしょう。誰もやりたくない。でも、「信じるなら神の栄光を見る」と言われた。ここで誰かが、信仰を持ってその石を動かさなければならなかったのです。
復活へのプロセス
神の力と人の従順が織りなす奇跡の瞬間
石の除去
人間側の準備。「石を取りのけなさい」という命令への従順。
感謝の祈り
「父よ、願いを聞いてくださったことを感謝します」という確信。
命の叫び
「ラザロよ、出てきなさい!」創造の言葉にも似た権威ある声。
死からの帰還
死んでいた者が、手足を布で巻かれたまま出てくる。
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石が取りのけられると、イエス様は天を見上げて感謝の祈りを捧げ、そして大声で叫ばれました。「ラザロよ、出てきなさい!」。するとどうでしょう。死んでいたはずのラザロが、手足を布で巻かれたまま、ヨロヨロと出てきたのです。まさに「光あれ」と言って世界が造られたように、主の言葉には死人を蘇らせる命の力があります。
3. 神のパートナーシップ
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ラザロは蘇りました。しかし、物語はここで終わりません。イエス様は最後に、もう一つの重要な命令を周囲の人々に与えるのです。
核心:「ほどいてやって、帰らせなさい」
神の領域と人の領域の協働関係
神の御業
命を与える・蘇らせる
人の奉仕
石をのける・包帯を解く
栄光の現れ
完全な解放と証し
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出てきたラザロは、まだ包帯でぐるぐる巻きです。自分では動けません。そこでイエスは言われます。「ほどいてやって、帰らせなさい」。ここがすごいんです。イエス様は奇跡を起こされましたが、仕上げの「フォローアップ」を人間に託されたのです。「石をのける」のも、「包帯をほどく」のも、人間ができることです。神様は、ご自分の偉大な御業のパートナーとして、私たちを用いられるのです。
バングラさんの葬儀に学ぶ
マニュアルではない「愛」と「手作り」の弔い
手作りの棺と霊柩車
既製品ではなく、友人がペイントしたバンと手作りの棺で送る。
死に触れる温かさ
業者任せにせず、仲間たちが遺体を運び、棺にメッセージを書く。
形式を超えた愛
ベルトコンベア式の儀式ではなく、一人ひとりの思いがこもった時。
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少し話がそれますが、私の友人バングラさんの葬儀の話を思い出します。彼の葬儀は、普通の葬儀とは全く違いました。派手にペイントされた車で運び、手作りの棺にみんなでメッセージを書き込む。業者任せにせず、仲間たちが直接死に触れ、彼を送り出した。そこには「臭い」とか「忌まわしい」といった感覚を超えた、愛と体温がありました。ラザロの包帯をほどいた人たちも、きっと恐れよりも「喜び」と「驚き」の中で、その体に触れたのではないでしょうか。
現代における「包帯をほどく」働き
私たちに託された使命とは
奇跡の目撃者となる :神が命を与えた人の、「自由」への手助けをする
汚れを恐れない :人の痛み、悲しみ、泥臭い現実に触れることを厭わない
具体的行動 :祈るだけでなく、実際に手を動かし、包帯をほどく
「帰らせなさい」 :その人が本来いるべき場所、神の家族のもとへ回復させる
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今も神様は、死んだような状況から人を蘇らせてくださいます。しかし、蘇ったばかりの人は、まだ古い習慣や傷、問題という「包帯」に巻かれているかもしれません。主は私たちに言われます。「あなたがほどいてあげなさい」と。汚れることを恐れず、その人の人生に関わり、自由にしてあげる。それが教会の、そして私たちの役割ではないでしょうか。
神はあなたを遣わす
神は御業を起こす。
しかし、その働きをお手伝いするのは
俺たちなんですよ。
— メッセージより
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神様はすべてをご自分で完結させることもおできになります。でも、あえて私たちを使わしてくださる。「石をのけなさい」「ほどいてやりなさい」。この声を聞いた時、「はい、私がします」と応答できるでしょうか。水汲みだけが知っていた奇跡の味、包帯をほどいた者だけが知る蘇りの体温。それを体験してほしいのです。
ここまで説明した内容をまとめて振り返ります。
さあ、今週もそれぞれの場所へ遣わされていきましょう。あなたの周りに、石をのけてほしい人、包帯をほどいてほしい人がいるはずです。主と共に歩み、神の栄光を見る一週間となりますように。お祈りします。