ここまで説明した内容をまとめて振り返ります。
淡路島 十字架行進の軌跡
2026.05.06
淡路島を巡る十字架行進の道のりの中で、忘れられない瞬間が訪れました。本日はその軌跡をご報告いたします。
アジェンダ
1
海辺での洗礼と新しい歩み
2
言葉になる前の福音として
3
道の上で語られる痛みの共有
4
実践から学ぶ動く神学校
5
大分へと連鎖する十字架の歩み
© Google Inc.
1
本日のアジェンダです。海辺での洗礼から始まり、十字架行進が持つ意味、道の上での出会い、そして次へと繋がる連鎖についてお話しします。
海辺での洗礼と新しい歩み
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まずは、初日に起きた海辺での洗礼について振り返ります。
静かな海辺の決心
特別な舞台ではない場所で起きた奇跡
祈る声
祈りと見守る涙
新しい道
古い何かの終わり
愛への応答
小さな決心の時
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3
十字架行進の初日、静かな海辺で四名の方々が洗礼を受けました。特別な舞台や照明はありませんでしたが、そこには海と祈り、そして見守る人々の涙がありました。彼らは自分の中の古い何かを終わらせ、イエスへの愛に応えて新しい人生の道を歩み始めたのです。
静かなる再出発
人が新しく歩き出すとき世界は大きな音を立てません
— 十字架行進の記録より
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人が新しく歩き出すとき、世界は大きな音を立てません。しかし、その人の内側では確実に新しい道が始まっています。
言葉になる前の福音として
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次に、なぜ私たちは十字架を担いで歩くのか、その意味についてお話しします。
十字架行進の真の目的
観光やイベントではない、行進の真の目的とは何か
該当しないもの
単なる観光や旅行
人を集めるイベント
形式的な宗教行事
実際の姿
言葉になる前の福音
すれ違う一瞬の証
重さを伴う祈りの歩み
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十字架行進は、決して観光やイベント、あるいは宗教行事ではありません。十字架を担いで歩くその姿は、言葉になる前の福音となります。車の窓や店先から、すれ違う一瞬の中で人々の目に触れ、心に問いかけるのです。
十字架行進に関する疑問
Q. なぜ十字架を担いで歩くのか
A. すれ違う一瞬に言葉になる前の福音を伝えるため
Q. 動く神学校とは何ですか
A. 道の上で痛みに耳を傾け実践を通して学ぶ場です
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よくある疑問についてまとめました。なぜ歩くのか、それは説明より先に人の目に入る福音となるためです。また、この旅全体が実践を通して学ぶ動く神学校となっています。
道の上で語られる痛みの共有
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同じ方向を向いて歩く中で、人々は深い痛みを共有し始めます。
道の上での出会いと対話
歩きながら打ち明けられる参加者たちの思い
道中
家族の救いや死別の悲しみ
道中
病気や仕事での挫折経験
道中
赦せない人への複雑な感情
道中
占い師だった女性の救いの証
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同じ方向を向いて歩くとき、人は不思議と正面では言えないことを語り始めます。家族の救い、死別、病気、仕事の挫折、そして赦せない人のこと。道はいつの間にか、互いの痛みを分かち合う相談室になっていきました。かつて占い師だった女性も、この歩みの中でイエスを信じ、顔つきが変わるほどの喜びを得ました。
実践から学ぶ動く神学校
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この旅は、教室の中にとどまらない、動く神学校でもあります。
動く神学校のサイクル
教室を飛び出した実践的な信仰の学びの過程
一歩踏み出す
道で出会う
福音が伝わる
献身者が起こる
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動く神学校とは、机と椅子のある教室ではありません。一歩踏み出して外に出ていくことで出会いがあり、福音が伝わり、救われる人たちが起こされます。そこからさらに献身する人が起こされるという、生きたサイクルの場なのです。
大分へと連鎖する十字架の歩み
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最後に、この十字架の歩みがどのように次の地へと連鎖していくのかをご紹介します。
広がる十字架の使命
参加者が自らの足で新たな地を歩み始める
動機づけ
自ら十字架を担いで歩きたいと願う
仲間の支援
歩む仲間のために十字架を手作りする
新たな歩み
大分などそれぞれの地域で歩き始める
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十字架行進に参加した人の中から、自らの地域でも十字架を担いで歩きたいと願う人が起きています。仲間たちはそれを応援し、献金によって新しい十字架を手作りしてプレゼントします。こうして、淡路島から大分、そして能登半島などへと、福音宣教の使命が受け継がれ広がっていくのです。
ここまで説明した内容をまとめて振り返ります。
この旅はまだ終わっていません。私たち一人ひとりが、日々の暮らしのただ中で十字架を立て、歩み続けていくのです。ありがとうございました。