遠いゴールを見た瞬間、足が止まってしまうことがある。「まだこんなところにいる」「あと何年かかるのだろう」と考え始めると、今日できる一歩まで小さく見えてしまう。人と比べ、世間の型に自分を押し込み、「このままの自分では足りない」と焦ることもある。

2026年7月4日、小田原で開かれた伝道集会「Saturday Night Arthur」で、アーサー・ホーランドはアメリカ大陸約4,000キロを歩いた経験から語り始めた。大切なのは、遠くの数字に心を奪われることではない。「今、ここ」で生きていることを受け取り、目の前の一歩を踏み出すこと。そして、自分や誰かを既製の型に閉じ込めないことだ。

「あんたも変わってるよね」と笑顔で語るアーサー・ホーランド
「あんたも変わってるよね」——人と違うところは、隠すべき欠点ではなく、誰かの心に届く入口になり得る。

遠いゴールより、今日の一歩

アーサー先生は、4000キロの全行程を見続ける代わりに、「あと何キロ」「あと何時間」と聞くことをやめたと話す。昨日はすでに過ぎ去り、明日はまだ来ていない。私たちに与えられているのは、いま呼吸し、いま誰かと出会い、いま選べる一歩だ。

長いゴールを考えたら途方に暮れるけど、今日の一日、この一歩、この一歩。だから焦るな、慌てるな。一歩一歩歩けば、必ずゴールにたどり着く。

ARTHUR HOLLANDS

「今日、今、ここであなたと会うために歩いている」。道端で、なぜ歩いているのかと問われた時、先生はそう答えてきたという。今日の出会いを偶然で終わらせず、「会うべくして会った」と受け取るなら、目の前の人との時間が、かけがえのないものとして見えてくる。遠いゴールへの不安ではなく、今日与えられた人と道を大切にする。そこから人生は動き始める。

型にはまらない人が、世界を変える

学校では落ち着きがないと言われ、手術後にも体を動かして看護師に止められ、75歳を迎えても歩き、バイクに乗り、挑戦を続ける。アーサー先生は自分を「変わった者」として笑い飛ばしながら、「世の中を変えるのは変なやつだ」と語る。これは、奇抜であればよいという話ではない。周囲の「こうでなければならない」に魂まで明け渡さず、与えられた感性と情熱を生きるということだ。

あんまり型にはめちゃいけない。自分が型にはまってるから、人を型に入れようとしない方がいい。

ARTHUR HOLLANDS

人が教会へ来ないなら、教会を人のところへ持っていけばいい。建物は運べなくても、十字架を担いで歩くことはできる。その発想から、日本列島を歩く旅が始まった。決められた枠の外へ一歩出た時、それまで交わるはずのなかった人との出会いが生まれた。型を破るとは、自分を目立たせるためではなく、これまで届かなかった一人へ愛を届けるためなのだ。

失敗しても、「今日また始める」

薬物やアルコール、ギャンブルなどの依存に苦しむ人々について、先生は「みんなピュアで、いいやつ」と語る。幼い頃の傷や孤独を抱え、その痛みを何かでなだめようとしてきた。悪い習慣から抜けたいのに抜けられず、自分を責め、周囲からも「もう変われない」と決めつけられてしまう人がいる。

昨日やっちゃったけど、今日また始める。そういうやり直しがOKで、受け入れ合って、支え合う。このミーティングに愛があるな、これこそ教会だなと俺は思ったりする。

ARTHUR HOLLANDS

やり直しは、失敗を軽く見ることではない。失敗を隠さず、それでも一人にせず、今日から再び歩けるように支えることだ。「できなかった昨日」が、「始め直せる今日」を奪ってはならない。人を型に入れない共同体とは、完成した人だけを歓迎する場所ではなく、何度でも新しい一歩を選べる場所なのである。

花を決めるのは、見えない根

イエスは、空の鳥を見なさい、野の花を見なさいと語った。鳥は明日の食べ物を抱え込まず、花は自分を美しく見せようと力んでいない。それでも養われ、装われている。私たちが先の不安に追い立てられる時、この光景は「あなたの命を支えているのは、見える努力だけではない」と思い起こさせる。

弟子たちに空の鳥を指し示すイエスを描いた挿絵
空の鳥を見なさい——まだ来ていない明日に心を奪われず、今日与えられている命を受け取る。

花を花らしくしているのは、目に映る花びらだけではない。土の下に隠れた根が水を吸い、命を送っている。人も同じだと先生は語る。心に満ちているものは、目つき、表情、言葉、態度となって外へ現れる。外側だけを整えても、根が渇いたままなら長くは続かない。

夕暮れの町を背景に白い花を見つめる男性を描いた挿絵
花として咲き、香りを放つ秘訣は、見えない根にある——生き方を変える道は、心が養われることから始まる。

心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わり、運命が変われば人生が変わる。

ARTHUR HOLLANDS

すべてを一度に変えようとしなくていい。今日、心の向きを変える。すると、今日の態度が変わり、今日の一つの行動が変わる。小さく見える選択が積み重なって、やがて習慣と人生の形を変えていく。だから「今日の一歩」は小さくても、決して軽くない。

「これは主が設けられた日」——当たり前は奇跡

この日の中心に置かれた御言葉は、「これは主が設けられた日。この日を喜び楽しもう」。先生は、今日ここにいること、誰かと出会えたこと、空気を呼吸していること、仲間や家族や食べるものがあることを「当たり前ではなく奇跡」と数えていく。

暗闇に光が広がり、宇宙と惑星が生まれる場面を描いた挿絵
「光あれ」と混沌の中に光が差した——今日という一日も、偶然の余りものではなく、受け取るべき贈り物として差し出されている。

喜ぶとは、苦しみがないふりをすることではない。まだ問題が残っていても、その問題だけに一日の名前をつけさせないことだ。不安の中にも呼吸があり、孤独の中にも出会いがあり、昨日失敗した人にも今日がある。喜びは状況が完璧になった後の報酬ではなく、今日を神から受け取る心の向きなのである。

「高価で尊い」——自分を受け入れられない自分へ

聖書の最初に語られるのは、神が天と地を創造し、混沌の中に光をもたらしたこと。そして土から人を形づくり、息吹を与えたことだ。私たちは、誰かの評価によって偶然できあがった存在ではない。自分はどこから来たのか、何のために生きるのかという問いの奥に、「あなたを創り、命を与えた方がいる」という答えが置かれている。

私の目にはお前は光り輝く。私の目にはお前は尊い。私はお前を愛している。そう言ってくれるのが神なんだよ。

ARTHUR HOLLANDS

「高価で尊い」という言葉は、きれいな励ましで終わらない。迷った一匹のために探しに出る愛、心の深いところにある罪や自責の念にまで下りてくる愛、そしてイエスが十字架で命を差し出して示した愛として語られる。自分を受け入れられない時にも、神の側からの価値づけは揺らがない。型からはみ出したから価値が下がるのではない。傷があるから、過去があるから、愛の対象から外れるのでもない。

語らずにして語る使命と、摂理の出会い

十字架を担いで歩く姿は、言葉を交わす前から人の心に問いを投げかけた。アメリカのハイウェイで何度もその姿を見たトラックドライバーは、壊れかけた夫婦関係のために祈ることを思い出し、妻と話し合ってやり直すことができたという。アーサー先生は何かを説得したわけではない。ただ歩く姿が、彼に忘れていた祈りを思い出させた。

4000キロの旅のゴールでは、人生が崩れかけていた一人の退役軍人が待っていた。途中で偶然出会ったように見えたその人が、同じロングビーチへ向かい、最後の地点に立っていた。先生は彼に、「俺はお前と会うために4000キロ、7か月歩かされてきた」と語る。

このゴールにお前が立ってるんだよ。ってことは、俺はお前と会うために4000キロ、7か月歩かされてきたんだ。……それが一期一会なんだよ。

ARTHUR HOLLANDS

使命は一人で抱え込む荷物ではない。自分にはできないことを生きている人に共感し、「あなたの働きを応援したい」と立ち上がる人がいる。お金や肩書きを追うためではなく、託されたことを生きる時、必要な出会いと支えが与えられていく。

使命に共感する人は世の中にいると語るアーサー・ホーランド
「使命に共感する人はいる」——自分に与えられた一歩を生きる時、その道を共に支える出会いも生まれる。

除け者にされた人こそ、世の塩・世の光

メッセージの後半で語られるのは、イエスの山上の教えだ。心の貧しい者、悲しむ者、義に飢え渇く者、憐れみ深い者は幸いだ。当時、政治や宗教から価値がないと扱われた人々に、イエスは「あなたがたこそ世の塩、世の光だ」と告げた。傷つき、押し出され、型の外に置かれた人々が、暗い場所に灯りを運ぶ存在として呼ばれたのである。

日本列島を十字架と共に歩く中で、元暴力団員たちが集まり、「ミッション・バラバ」と名づけられた群れが生まれた。先生は、闇の中で生きてきた人々が心を変えられ、やがて人を支え、更生を助ける側へ変えられていったと証しする。過去が消えたから光になったのではない。赦しを受け、同じ闇の中にいる人へ手を差し伸べられる者へ変えられたのだ。

深く悪いことを忠実に闇の世界でやっている者は、心を変えられると、深く忠実に光の子らしくなる。皆さん、彼らが変えられるなら、あなたも変えられる。

ARTHUR HOLLANDS
十字架にかかるイエスを描いた挿絵
十字架は「あなたのため」にある——罪や失敗で人を切り捨てるのではなく、身代わりとなって赦しと新しい道を開く愛。

型からはみ出した人が世界を変えるのは、はみ出していること自体が力だからではない。拒絶された痛みを知る人が、同じ痛みを抱える誰かに寄り添えるからだ。赦された人が赦しを運び、支えられた人が誰かを支え、暗闇から呼び出された人が光を掲げる。神は、世間が「使い物にならない」と片づけた一人を、世を照らす一人として見ておられる。

心の扉を開き、今日また始める

メッセージは、「すべて疲れている者、重荷を負っている者、私のところにおいで」というイエスの招きへ向かう。自分の力だけでは断ち切れない悪循環も、誰にも言えない罪悪感も、そのまま持って来てよい。イエスは心の扉を叩き、扉を開くなら、あなたと共に人生を歩むと呼びかけている。

胸に手を当て、心を開くよう呼びかけるアーサー・ホーランド
変化の始まりは、立派な自分を作ることではなく、ありのままの心を開き、共に歩いてくださる方を迎えること。

遠いゴールに心を奪われず、神が与えてくださった「今日の一歩」を喜んでいるだろうか。先の心配をいったん脇に置き、今日できることを一つだけ実行する。今日出会った人や身近な人に、感謝や励ましを一言伝える。その小さな一歩は、型にはめられた人生から抜け出す一歩であり、誰かの暗闇に光を灯す一歩にもなる。

昨日つまずいても、今日また始められる。自分は高価で尊く、愛されていると受け取り、心の向きを変えるなら、態度が変わり、行動が変わり、やがて人生が変わっていく。世界を変えるのは、完璧に型にはまった人ではない。恵みを受け取り、自分に与えられた一歩を、今ここから踏み出す人なのだ。