「信じたいのに、信じきれない」。信仰に生きようとする者なら、誰もが知っている揺らぎだ。アーサー・ホーランドは今回のStay Fast Churchで、その揺らぎから目をそらさずに語り始める。すぐ恐れ、すぐ不安になり、見栄を張って比べ合う――弟子たちがそうだったように、俺たちも同じだ、と。

しかしこのメッセージが向かう先は、「もっと強く信じろ」という説教ではない。創世記の「光あれ」から黙示録の完成まで、聖書全体を貫く一本の糸をたどりながら、最後に立ち上がってくるのは逆転の視点だ。俺たちが神を信じるより先に、神のほうが俺たちに信仰を持ってくださっている――。

信仰について語るアーサー・ホーランド
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども、愛しており」――ペテロの手紙から、見ずに信じる信仰へ。

見たことがないのに、愛している

ペテロの手紙第一 1章8節。「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども、愛しており、いま見てはいないけれども信じており」。二千年前のこのことばは、今の俺たちにそのまま重なる。目では見えない。それでも愛している。聖霊によって、乾いた心の底から泉のように湧き上がる喜びがその証拠だ。

信仰というのは筋肉と似ていて、エクササイズするから、メリハリがつくわけですね。

ARTHUR HOLLANDS

使わない筋肉が落ちていくように、信仰も動かさなければ鈍っていく。だからジーザスは「御言葉を聞いて行う者でありなさい」と語った。心が燃えていても、肉体は弱い。それを知っていた弟子たちは、信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さない生き方を、身をもって教えられていった。

五島列島――殉教者たちが遺した問い

アーサー先生はこの夏、五島列島を巡った。「五島列島、ええで」――先に天へ帰った友バングラの一言から始まった旅だ。台風が上陸する中、船で島から島へ。ミッションに出れば何が起こるか分からない。だからこそ、信仰は研ぎ澄まされていく。

五島列島ミッションの旅について語るアーサー・ホーランド
天に帰った友の一言から始まった五島列島ミッション。台風の中を島から島へ、信仰が研ぎ澄まされていく。

その旅の中で、先生は殉教者たちの島に立った。六畳ほどの牢に男女が分けられ押し込められ、食べ物もほとんど与えられない八か月の監禁。病が広がり、子どもたちから死んでいく。それでも彼らは「イエス様がおられるパラダイスに、私たちも行くんだ」と言って、信仰を棄てずに殉教していった。明治元年、この国で実際に起きたことだ。

なぜこの人たちは、このような信仰を持っていたんだろう。

ARTHUR HOLLANDS
五島列島の殉教者たちについて語るアーサー・ホーランド
記念館で言葉を失った。学歴も財産もない人たちが、命よりも信仰を選び取った島。

「日本は沼地だ」――冗談じゃない

五島列島は、遠藤周作『沈黙』の舞台でもある。作中では、キリシタンを棄教させる側の男が言い放つ。日本は沼地だ、ここに種は実らない、と。

俺はそれを見たときに、「この野郎」と思いましたよね。

ARTHUR HOLLANDS

純粋に信じて死んでいった者たちは「馬鹿だ」と言われた。だが聖書は言う。「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」。計算や打算があれば神は見えなくなる。純粋だからこそ、神が見える。「馬鹿だ」と言っている者のほうが、神がそばにいても見えていない。そして一粒の麦は、地に落ちて死んだがゆえに、多くの実を結ぶ。殉教者たちの死は、無駄ではなかった。

日本は沼地だということばへの思いを語るアーサー・ホーランド
沼地に種は実らない?――実った。純粋に信じ抜いた人たちの信仰が、150年を越えて今も問いかけてくる。

山上の垂訓は、誰に語られたのか

「心の貧しい者は幸いです」。あの山上の垂訓が語られた相手は、立派な人たちではなかった。病を抱え、汚れていると言われ、神殿に行っても相手にされない人たち。ローマ帝国からは「貧しいのはお前たちのせいだ」と見下される人たち。行き場を失った彼らが、すべてを捨ててイエスのもとに集まってきた。

人は外側を見ます。人は学歴を見ます。しかし、神は心を見るのです。

ARTHUR HOLLANDS

イエスが弟子に選んだのも、勉強ができる人たちではなく、短気で素朴な実践派だった。物事にぶつかっていく者たち――そこが一番の強みだった。ことばを知っているだけのどんな学者よりも、御言葉を実践し、信仰の生き方を身につけていく者たちであることを、人の心を見抜くイエスは知っておられた。

山上の垂訓を語るイエスのイメージ
丘の上で語られたBeatitudes。宛先は、神殿に入れてもらえなかった「心の貧しい人たち」だった。

砂の上か、岩の上か

二人の人が家を建てた。外側から見れば建物は瓜二つ。しかし嵐が来た日、砂の上の家は悲惨に崩れ、岩の上の家は倒れなかった。違ったのは土台だけだ。

砂が何であるかを知りたければ、岩が何であるかを知れ。岩はわたしのことばだ。

ARTHUR HOLLANDS

アダムとエバは、神のことばではなく蛇のことばに信仰を置いた。ダビデは見るのをやめず、欲望のスイッチが入った。何を見て、何を聞き、何を心に蓄えているか――それがあなたの土台になる。信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについての御言葉による。雨と洪水と風は、誰の人生にも必ず来る。問われるのは、その日の土台だ。

砂の上の家と岩の上の家のたとえのイメージ
建物は同じでも、土台は違っていた。嵐の日に、御言葉という岩の上に建つ家だけが残る。

俺たちが不真実でも、神は真実

12年間、長血を患った女は、医者をたらい回しにされ、財産も尽きた。それでも「イエスの衣に触れたら癒やされる」――それだけを握って人混みをかき分けた。イエスは彼女に言う。「あなたの信仰があなたを治したのです」。ブーメランのように、彼女の信仰が彼女に返ってきた。

イエスの衣に触れる長血を患った女のイメージ
「触れたら癒やされる」。それだけを握りしめて進んだ信仰を、イエスは見ておられた。

では、信仰が揺らぐ俺たちはどうなのか。「命をかけます」と言って三回裏切ったペテロに、よみがえったイエスは自ら食事を用意し、「あなたはわたしを愛するか」と問うた。アガペーで愛せず、フィレオの愛しか差し出せない彼に、「わたしの羊を飼いなさい」と委ねた。失敗した男が、赦されて教会の柱になった。

俺たちが不真実であっても、神は真実ですってね。神様は俺たちに信仰を持っている。

ARTHUR HOLLANDS

「あなたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたを選んだ」。神のほうが先に、あなたは多くの実を結ぶことができると信じてくださっている。信仰とは、自分の握力の話である前に、神があなたに賭けてくださっているという事実の話なのだ。

リバイバルは、もう始まっている

「網を下ろせ」と言われたとき、ペテロの答えは「一晩中やりましたが、無理です」だった。それでも従って網を下ろしたら、網が破れるほどの魚が入った。子どもの弁当ひとつを神の御手に託したら、二万人が満たされた。信仰をもって一歩踏み出すなら、神が働かれる。

俺は立ち上がります。あなたはどうでしょうか。

ARTHUR HOLLANDS

必ず日本にリバイバルが起こる。日本は沼地ではなく、神の国へと変えられていく。その始まりは大きな舞台ではない。「まず、私たちから始めてください。私の心からリバイバルを起こしてください」――そう祈るあなたの心からだ。

日本のリバイバルについて語るアーサー・ホーランド
「日本は神の国へと変えられます」。信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さずに、一歩踏み出す。