安けさを求める心へ

川のように静かに流れる安けさを歌う賛美の紹介から語りは始まります。心が騒ぎ、恐れに波立つような現実の中で、世のものとは違う平安を残すという語りかけが心に留められます。私たちに必要なのは、自分を立て直す力だけでなく、不安な心に迎える光であるという趣旨が示されます。闇の中に光が輝き、闇は光に勝てなかったという内容も、その希望を支えます。問題は弱さがあること自体ではなく、弱いまま光の方へ進まずにいることです。今日の御言葉は、足元の灯りとして心の思いを静かに照らします。まずあなたも、ざわつく心を抱えたまま、平安を与えると語る方の前に座ってみませんか。

私はあなた方に平安を残します

メッセージを語るアーサー・ホーランド

安けさを求める心へ

聞くことから始まる信仰

人は神の声を聞いていたのに、別の誘う声を聞くようになり、罪と死の結果を招いたという創世記の流れが振り返られます。そこでの語りの趣旨は、信仰は聞くことから始まり、聞くことは神の言葉から来るということです。神の言葉から離れた言葉は、神の姿に造られた自分を見失わせ、身を隠すようにさせるといいます。自分を覆い、嘘をつき、どこにいるのかと問われる姿は、現代の心にも重なります。立ち直りは、再び神の声に立ち返ることだという方向が示されます。御言葉は両刃の剣のように心の思いを見分け、憐れみをもって切り込んでくださるといいます。この視点が、今日の中風の人の場面を読む土台になります。あなたが日々聞き続けている言葉は何でしょうか。

信仰は聞くことから、聞くことは神の言葉から

メッセージを語るアーサー・ホーランド

聞くことから始まる信仰

運ばれてきた一人の人

イエスが舟で自分の町に帰られたところに、人々が中風の人を床のまま運んできたという場面が読まれます。マルコによる描写では四人の人が担いだとされ、ルカによる描写では屋根をはがしてつり降ろしたとされる趣旨が紹介されます。マタイによる描写は簡潔ですが、同じ出来事を異なる角度から見る豊かさがあるといいます。北から見る富士山と南から見る富士山のように、角度が違っても同じ出来事を証ししているというたとえで説明されます。家の戸口まで隙間もないほど人が集まる中で、あきらめずに運び続けた姿が心に残ります。どれほどの距離を汗をかきながら祈りつつ運んだのかと想像させられます。この運ぶ愛と期待が、出来事の入り口になっています。あなたにも、運ばれるようにして来た道があるでしょうか。

イエスは彼らの信仰を見て

聖書場面:四人が中風人を担いで押し入る

運ばれてきた一人の人

彼らの信仰を見られる方

ここでの中心は、本人の信仰だけでなく、運んできた人々の信仰をイエスが見てくださったことです。人は外側を見ますが、神は心の内側を見られるという語りかけが重ねられます。友よと呼びかけるような慰めのある語りかけとして受け止められています。救い主が友として迎えてくださることは、何という慰めかと語られます。信仰がなければ神を喜ばせることはできないという趣旨や、信仰は望む事柄の保証だという趣旨も紹介されます。クリスチャンの歩みは知識の量ではなく、聞いて行う者になることだと強調されます。今日この場で御言葉に触れているあなたの信仰も見られているという招きが語られます。見られていることは裁きではなく、回復への目当てだといいます。あなたは今、どんな思いで見られたいでしょうか。

あなたの罪は赦されたと

メッセージを語るアーサー・ホーランド

彼らの信仰を見られる方

赦しと立ち上がりの恵み

中風の人には、まずしっかりしなさいという趣旨の励ましとともに、あなたの罪は赦されたという内容が語られました。その言葉に、心の中で神を汚しているという趣旨の理屈を唱えた人々がいたといいます。イエスはその心の思いを見抜き、罪の赦しと起きて歩くことのどちらが易しいかと問いかけます。その後、起きて床をたたんで家に帰るよう命じられ、彼は起きて帰ったという流れです。群衆は恐れおののくような畏れをもって、権威を与えた神を崇めたといいます。ここには、神殿でのいけにえや罪の償いの問題を背負い、自ら十字架に向かわれる方の姿が重ねられます。第二のアダムとして失敗を担い、罪人を贖うために来られたという趣旨です。赦しも立ち上がりも、どちらも神には可能だといいます。十字架がその両方の土台として語られ、赦しは免除だけで終わらず、立ち上がりへと導く恵みとして示されます。あなたが先に必要としているのは、赦しの言葉でしょうか。

起きなさい、寝床を畳んで家に帰りなさいと

聖書場面:癒された人が床を畳んで歩き出る

赦しと立ち上がりの恵み

屋根に穴を開けるような一歩

群衆で隙間もない家の前で、屋根をはがしてつり降ろした工夫が、突破口を開く生き方として語られます。聖霊が臨むときに力を受けるという趣旨と重ねられ、常識の壁に穴を開ける行動だといいます。聖書の常識と世の常識は違うことがあるので、心に留める必要があるといいます。何が何でもこの方のもとへ連れて行かなければという情熱が、不思議な出来事を開いたと受け止められます。期待して祈り続け、冷めている周囲があっても諦めない姿が勧められます。からし種ほどの信仰があれば山を動かすという趣旨も紹介されます。実践は大きくなくてよく、家の祈りを整え、誰かのために祈り、共に運ぶことです。その小さな穴開けも、十字架によって開かれた赦しと回復の道に連なる歩みとして語られます。あなたの屋根は、どこに穴を開ける必要があるでしょうか。

こんな権威を人にお与えになった神を崇めた

聖書場面:屋根の瓦を剥いで床を吊り下ろす

屋根に穴を開けるような一歩

今日、驚くべきことを見るために

人々は、かつて見たことがないという趣旨の驚きをもって神を崇めたといいます。その驚きは、混沌に光が与えられた創造や、処女マリアを通して命が宿った出来事に等しい恵みとして語られます。問いへの答えはここにあります。動けない心のままでよいので、聞くことから始めて、誰かと一緒にイエスのもとへ向かうことです。二つの小さな一歩は、不安を書き出して平安を祈ることと、身近な一人の回復を祈って温かい一言を届けることです。私も中風の人と等しいという祈りが勧められ、日本の回復への願いも重ねられます。起きて床をたたむ姿を想像しながら、神を崇めて家に帰る歩みが示されます。今日の驚きは、遠い昔ではなく今日の恵みだといいます。どうぞ心を開いて、赦しと立ち上がりを受け取ってください。

信仰を見られるジーザス

聖書場面:群衆の畏敬と賛美

今日、驚くべきことを見るために