富士山一周十字架行進 2026 キャンペーンポスター:十字架を担ぐアーサー・ホーランドと富士山

ARTHUR HOLLANDS — FUJI CROSS WALK 2026 / 4 DAYS

富士山一周
十字架行進

2026年9月24日(木)〜9月27日(日)毎朝7:00スタート

アーサー・ホーランドが十字架を携え、富士山の周りを歩く4日間。開催日程と行程案に加え、出発前日から最終日までの記録をお届けします。

SCHEDULE — 4 DAYS

4日間の行程案

各日のスタート地点は変更になる場合があります。必ず、ご参加の前に、担当のサポートスタッフ後藤(080-3927-1165)までご連絡のうえ、最新のスタート地点をご確認ください。

  1. 9月24日(木) 7:00スタート

    出発
    ドンキホーテ河口湖インター店
    到着
    セブン-イレブン 御殿場板妻店
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  2. 9月25日(金) 7:00スタート

    出発
    セブン-イレブン 御殿場板妻店
    到着
    やぎの木登りガーデンカフェ
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  3. 9月26日(土) 7:00スタート

    出発
    やぎの木登りガーデンカフェ
    到着
    ニューあかいけ
    Googleマップで見る
  4. 9月27日(日) 7:00スタート

    出発
    ニューあかいけ
    到着
    ドンキホーテ河口湖インター店
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各日7時出発となります。出発点およびゴール地点は変わる可能性があるため、必ずスタッフ後藤(080-3927-1165)にご連絡ください。

ROUTE MAP — 4 DAYS

4日間のルート地図

WALK ACROSS — JOURNAL

行進の記録

出発前日から各日の歩みを、順次掲載していきます。

DAY 00 2026.09.23

出発前日、たこ焼きと夜の食卓

富士山一周十字架行進が始まる9月24日を前にした、9月23日の移動日。アーサー先生は、イッチー御一家の願いで開かれたたこ焼きパーティー、そして夜にはタナカツさんや友人たちとの食事を通して、再会のひとときを過ごした。

A TABLE BEFORE THE WALK

たこ焼きパーティー

イッチー御一家の強い願いで、アーサー先生はたこ焼きパーティーに加わった。焼き始める前には、集まった人々が手をつないで祈り、共にいられることへの感謝と、楽しい食事への願いを分かち合った。鉄板を囲み、焼き上がりを待つ時間にも笑顔が広がる。

たこ焼き器のそばに座るアーサー先生と、準備する人々
具材や皿が並ぶ食卓。たこ焼きパーティーの準備が進む。

A CONNECTION FROM NHA TRANG

ニャチャンでの出会い

アーサー先生とイッチー御一家の出会いは二年前にさかのぼる。タナカツさんの紹介をきっかけに、ベトナム・ニャチャンで行われたイッチー御一家の結婚式をアーサー先生が執り行った。ニャチャンで始まった交流が、日本の食卓でもう一度続いていった。

EVENING TOGETHER

夜の食卓

その夜、アーサー先生はタナカツさんや友人たちと夕食を共にした。テーブルを囲んで言葉を交わすひとときが、出発を前にした一日をやさしく締めくくる。人と人が食卓を囲む時間を胸に、行進へ向けた歩みが整えられていった。

友人たちと夕食を囲むアーサー先生
テーブルを囲む夜の食卓。会話が続くひととき。
食卓の前に並ぶアーサー先生と三人
食卓の前で撮影した、笑顔の集合写真。

祈りと食事、そして語らいに支えられた移動日の一日。
富士山一周十字架行進は、9月24日から始まる。

DAY 01 2026.09.24

赤富士の朝、十字架と歩き出す――富士山一周十字架行進 DAY 1

朝、街の向こうに富士山が赤く染まった。祈りを終えたアーサー先生と仲間たちは、十字架を携えて初日の道へ。車の行き交う町を抜け、山中湖では一人の洗礼を迎え、再び坂道を歩く。出会った人と歩幅を合わせながら進んだ、9月24日の記録。

TO LOVE, TO BE LOVED

朝の赤富士と祈り

街並みの向こうで、朝の富士山が赤く染まっていた。午前6時15分ごろ、出発前の一行にアーサー先生が語ったのは、まず心を静めること。忙しさの中では見失いがちな「愛されている」という実感を、静けさの中で受け取ろうと呼びかけた。

皆で「主は今生きておられる」を歌い、聖書を開く。この朝のテーマは「愛すること、愛されること」。アーサー先生は、それを人間にとって呼吸のように欠かせないものだと話した。出発前の祈りでは、十字架を見た人が神の存在に気づくように、そして歩く人も支える人も守られるようにと願った。

朝の街並みの向こうで赤く染まる富士山
9月24日の朝、街並みの向こうに見えた赤富士。
出発地点でアーサー先生の話を聞く三人の同行者
出発地点に集まった仲間たちとアーサー先生。

7:00 — ON THE ROAD

十字架を運ぶ道で

午前7時すぎ、木の十字架とともに歩き始めた。工事区間では「後ろ気をつけて」「俺の後ろに来たらいいよ」と声を掛け合う。車の多い道も、富士山麓のアップダウンも、この行進の道だ。

アーサー先生は信号機や「止まれ」の標識を例に、「十字架もサインポストだから、やっぱ意味するものがあるんだよな」と話した。十字架が人の目に触れることにも意味がある。道の途中では富士山を指し、「富士山を拝むんじゃねえんだよ。富士山作った神を賛美するんだ」と語る。朝に見上げた山は、歩きながら交わす言葉の中にもあった。

木の十字架を右肩に載せて町の道を歩くアーサー先生
午前7時半ごろ、木の十字架を肩に載せて歩くアーサー先生。
午前の町の道を歩くアーサー先生の横顔
湖へ向かう午前の道を歩くアーサー先生。

A PRAYER BEFORE THE LAKE

富士山の麓で、足を止める

午前8時15分ごろ、富士山の麓で一行は足を止めた。森や鳥の声、山を歌う賛美のあと、一人ずつ祈る。「あなたが創ったこの森、大地、空気」への感謝、道中の守りを願う言葉が続いた。

道を進む仲間のために、そして山中湖で洗礼を受けるわかさんのために。アーサー先生は、わかさんにとって新しい人生の始まりとなるよう祈った。一行は祈りを終え、湖へ向かった。

BAPTISM BY THE LAKE

前夜の食卓から、山中湖へ

湖畔で式が始まると、アーサー先生は前夜の食卓について話した。克成さん、ノリピーさん、後藤さん、わかさんと食事をする中でイエスの話になり、わかさんが自分もイエスを受け入れたいと話したという。人との出会いから生まれた願いが、翌朝の湖畔へつながった。

「今日のあなたの心境は」。アーサー先生が尋ねると、わかさんは答えた。

「最高ハッピーです」

山中湖畔で笑顔を見せ、親指を立てるわかさん
「最高ハッピーです」。洗礼を前に笑顔で答えるわかさん。

アーサー先生は白い布を染料に浸すと色が染み込む例を挙げ、洗礼にはイエスと一つになる意味があると説明した。水に沈むことと水から上がることには、死とよみがえりの意味がある、と。そして、心で信じたことを行動で表す一歩が洗礼なのだと、わかさんに語りかけた。

わかさんはアーサー先生に導かれて祈り、仲間たちは朝にも歌った「主は今生きておられる」をもう一度歌った。同行者の一人がわかさんを祝福して祈る。祈りと歌のあと、一行は湖の水際へ向かった。

THE ANSWER

山中湖で「信じます」

午前9時半を回った山中湖。「わかちゃん、おいで」。アーサー先生が声をかけると、水際には鯉が泳いでいた。「鯉が歓迎してくれてるよ」。わかさんに「僕の手を持って」と伝え、体を支えながら湖へ進む。

山中湖の岸近くを泳ぐ白い鯉
湖の水際に現れた鯉。アーサー先生は「鯉が歓迎してくれてるよ」と声をかけた。

アーサー先生はわかさんに向き直り、尋ねた。

「わか、あなたはイエス・キリストを罪からの救い主として信じますか?」
「信じます」

父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けると告げられ、わかさんは水の中に身を沈め、起き上がった。アーサー先生は、イエスがともに歩む「素晴らしい旅」となるよう、その場で祈った。朝から十字架と歩いてきた仲間たちも、このひとときをともにした。

山中湖の水の中で、洗礼を前にアーサー先生らと祈るわかさん
山中湖の水に入り、洗礼を前に祈る。
洗礼式を終えたわかさんを囲み山中湖畔で並ぶ一行
洗礼式のあと、山中湖を背にわかさんを囲んで。
山中湖畔のデッキで十字架を囲む一行
湖畔のデッキで、十字架を囲む。

THE ROAD AFTER THE WATER

湖を離れ、坂道を進む

湖を背に仲間たちで記念写真を撮り、一行は十字架と道に戻った。午前10時40分ごろには木立に沿う道を進む。坂に差しかかると、足に負荷を感じる声も聞こえた。「無理しないように一歩一歩じっくりゆっくり」。洗礼の時間を経ても、行進は続いていた。

アーサー先生は歩きながら、この行進に込めた思いを話した。「教会を人のところに持っていこう」。建物を運ぶことはできない。それでも十字架を携え、人のいる場所へ歩いていく。朝に語った「サインポスト」の意味が、ここで見えてくる。

木立沿いの道路で十字架を運ぶアーサー先生と同行者たち
洗礼式を終えた午前の道。木立に沿って十字架と歩む。
昼休み、食事を手にするアーサー先生とそばに座るわかさんたち
昼休み、食事をともにするアーサー先生とわかさんたち。

A PAUSE ON THE ROAD

道端でひと休み

正午前、道端で休むと、アーサー先生は「これがまた楽しいひとときなんですよ」と話した。歩くばかりではなく、座って話す時間もある。「パソコンの前ばっかで」「こういうところ来ると解放されるんだよ」という声が続く。

正午すぎには、わかさんが用意したという飲み物や食べ物を皆で囲んだ。「わかちゃんありがとう」「お茶もらう」。湖畔での祈りと同じ一日の中に、こんな何げないやりとりもある。

THE AFTERNOON PACE

午後も、一歩ずつ

休憩のあと、一行はまた十字架と歩いた。アーサー先生は、誰かと話すと時間を忘れ、一人で歩くときは静けさの中で祈ると話す。午後2時ごろ、隣の人には「足大丈夫」「無理すんな」。歩みを急がせない声が、道の上で続く。

「焦らず慌てず、じっくりゆっくり一歩一歩」。それが自分のリズムだとアーサー先生は言う。同時に、相手に合わせて歩くこともある。「やっぱり人ありきで大切にする」。十字架を運ぶ行進の歩幅は、隣を歩く人との間でも決まっていく。

白い柵の向こうに木立が続く道を、タナカツさんと歩くアーサー先生
午後、木立沿いの道をタナカツさんと歩くアーサー先生。

赤富士の朝に祈って歩き出し、山中湖では「信じます」という答えに立ち会った。湖を離れてからも、坂道で声を掛け合い、相手の歩幅を気遣う。アーサー先生が語った「愛すること、愛されること」は、十字架とともに進む一歩一歩にも息づいていた。

DAY 02 2026.09.25

国境を越えて届いた祈り――富士山一周十字架行進 DAY02

2026年9月25日、富士山一周十字架行進の二日目。朝、仲間たちは詩篇1篇を読み、それぞれの心に残った言葉を分かち合った。道端で手を振る人がいて、前日の山中湖での祈りを思い起こす場面もあった。十字架を担いで進む道は、会話と賛美、そして思いがけない出会いの場になっていった。

WORDS FOR THE ROAD

二日目の朝、詩篇を開く

行進を始める前、仲間たちは集まって賛美し、祈った。それぞれが今の自分に響いている聖書の言葉を話す時間があった。誰かの言葉を聞き、別の人が自分の経験を重ねる。出発前のひとときは、歩き出すための準備であると同時に、一緒に歩く人を知る時間でもあった。

前日に山中湖で洗礼を受けたわかさんが、喜んで帰っていったことも話題になった。一日が終わっても、湖で起こったことは仲間たちの会話の中に生きている。新しい朝を迎えた一行は、その喜びを抱いたまま二日目の道へ向かった。

出発前、仲間に語りかけるアーサー先生。
出発前、仲間に語りかけるアーサー先生。

この朝に読まれたのは詩篇1篇。「水路のそばに植わった木」が時を迎えて実を結ぶという言葉に、一人の参加者は心をひかれたと話す。アーサー先生は、聖書をただ文字として追うのではなく、そこにある情景や音、香りまで思い描いてみようと促した。疲れの残る体で二日目を迎えた人にとっても、水のそばに根を張る木の姿は、今の自分に重ねられるものだった。

その参加者はパワーリフターとしての経験に引き寄せ、踏ん張って立つ木の姿を語った。「満身創痍」で二日目を迎えたという率直な言葉も出る。同じ一節を読んでも、そこに見えるものは一人ずつ違う。互いの受け取り方を聞くことで、詩篇の言葉はこの日の仲間たち自身の言葉になっていった。

アーサー先生が促したのは、正解を急いで探す読み方ではない。「水路のそば」と聞いた時に見える景色、葉の色、流れる水の音まで、想像を広げてみる。誰かが自分の言葉で話し始めると、別の誰かにも新しい情景が見えてくる。朝の静かな時間は、行進の足どりにもつながっていった。

9月25日朝、町並みの向こうに見えた富士山
雲をまとった富士山。二日目の朝。

朝の町並みの向こうには、雲をまとった富士山が見えた。前日の赤く染まった山とはまた違う表情を見せる山を前に、一行はこの日の一歩を踏み出す。

出発の時には、事故やけががなく、全員の足が守られるようにと祈りがささげられた。疲れを抱える人もいる。今日どこまで歩けるかは、一人ずつ違う。それでも、同じ方向へ進む仲間がいることを確かめてから、十字架は道へ出た。

本を手に車のそばで並ぶアーサー先生と同行者
出発前、本を手に仲間と並ぶアーサー先生。

WALK WITH A NEIGHBOR

隣人を思いながら歩いた道

出発後、住宅街の道を十字架とともに進む。先頭を歩く人のそばに仲間が並び、少し後ろからも歩みが続く。朝に読んだ「道」という言葉は、この日、一行が実際に足を置く道と重なった。

歩き始めてしばらくすると、道のそばに水路が見えた。誰かが「あそこに木が青々としてる」と声を上げる。朝に読んだばかりの詩篇の言葉が、目の前の景色になった。「リアル詩編じゃん」と笑い合い、木のそばに落ちる栗にも目を留める。出発前に思い描いていた情景は、机の上の話ではなくなった。

互いの歩幅に合わせ、仲間と道を進む。
互いの歩幅に合わせ、仲間と道を進む。

足元を見て、木を見て、また前を向く。大きな景色だけが、この道の魅力ではない。水路の流れや実をつけた木のような小さな発見を、隣を歩く人にその場で伝えられる。そのやり取りが、長い一日の歩みにリズムをつくっていた。

言葉を交わしながら歩く、午前の道。
言葉を交わしながら歩く、午前の道。

歩く速さについては「じっくりゆっくり、焦らず慌てず一歩一歩」という声がある。十字架を担ぐ人の足どりに合わせ、隣の人と話しながら進む。予定を先へ進めるだけなら、会話のために立ち止まる時間は余分に見えるかもしれない。それでも、この行進には道中の言葉を聞き合う時間が欠かせない。

「会話できる歩きが一番お互いにいい」。体の調子を見ながら無理をせず、目の前の人と話せる速さを守る。朝の集まりで聞いた言葉も、歩きながら交わす言葉も、ここでは同じ一日の中にある。

道中、仲間の笑顔がこぼれるひととき。
道中、仲間の笑顔がこぼれるひととき。

途中には、歩く仲間たちの賛美が道に広がる時間もあった。歌声が重なり、しばらくして足の具合を気にかける声が入る。声を合わせることと、仲間を待つこと。どちらも、この一行の歩き方だった。十字架は先へ進みながらも、後ろを歩く人の様子を気にかけていた。

木の十字架を担ぎ、緑の続く道へ。
木の十字架を担ぎ、緑の続く道へ。

A PAUSE TOGETHER

サポート車のそばでひと息

正午ごろにはサポート車のそばに椅子を出し、仲間たちが休んだ。アーサー先生は座って食事を取り、ほかの人たちもそれぞれの場所で体を休める。立ったまま話す人、腰を下ろして耳を傾ける人。道を歩く間とは違う距離で、会話は続いていた。

休憩の場には、歩く人と支える人が一緒にいる。飲み物や食事を手にする短い時間も、行進には欠かせない。道の上では前後に離れていた仲間が、車のそばで顔を合わせる。体を休めながら、朝から何を見て、何を話したかを伝え合える。

サポート車のそばで休憩するアーサー先生と仲間たち
サポート車のそばで食事を取り、ひと息つく。

長い行進では、休むことも次の一歩を支える。朝からの歩みを振り返り、これから先の道に備える。再び立ち上がれば、十字架と仲間たちの歩みは続く。

この日の出会いは、そんなふうに一行が立ち止まり、歩き直す時間の先に待っていた。誰と会うかを決めて歩いているわけではない。だからこそ、道端から聞こえた声に応え、短い会話が始まる余地がある。

AN UNEXPECTED ENCOUNTER

韓国から来た人たちとの出会い

昼過ぎ、道の向こうに車を止めた人々がいた。韓国から来た人たちだと分かると、アーサー先生は手を振り、韓国語でも声をかけた。車の窓から、そして道端から笑顔で応じる人たち。木の十字架を担いで歩いていたからこそ始まった会話だった。

アーサー先生は「宣教師いっぱい日本に来てくれてありがとう」「日本を愛してくださって感謝します」と言葉を送った。そこには韓国からの宣教師もいた。日本で働く人たちへの感謝を、先生は目の前の相手にまっすぐ伝えた。

最初の呼びかけは韓国語だった。突然、十字架を担いで歩く人から母語で挨拶を受けた相手も、足を止めて応じた。アーサー先生は韓国と日本のために祈り、別れ際には「ありがとう」と重ねる。互いに長い自己紹介をしたわけではない。それでも、目を合わせて交わした感謝は、すれ違いだけで終わらない時間を生んだ。

道端と車中から行進に応える韓国から来た人々
韓国から来た人々が、道の向こうから笑顔で応えた。

この日、一行には韓国からの宣教師をはじめとして30名近い方々がかかわっていた。だからこそ、道で韓国から来た人々と顔を合わせた場面には、偶然の挨拶以上の広がりがあった。写真に写るのは出会った方々の一部だが、車の中からも道端からも、十字架に向けて手が上がる。別々の場所から来た人たちが、短い時間を同じ道で分かち合った。

車の窓から手を振る人と、路肩に立って一行を見送る人。道の両側に分かれていても、呼びかけに笑顔で応じる。行進の道は、そこを通りかかった人が足を止め、言葉を交わせる場所にもなった。

別れたあとも、アーサー先生は一緒に歩く仲間とこの出会いを話した。韓国から来た人たちにとって、日本の道を十字架とともに歩く一行を見るのは驚きだっただろう、と。相手の受け止め方を決めつけることはできない。それでも、声をかける前には知らなかった人たちが、手を振り合う関係になったことは確かだった。

THE DAY BEFORE

前日の山中湖を振り返る――ボリビアからの出会い

韓国から来た人々と出会う前日、山中湖でも国を越えた出会いがあった。湖畔では、わかさんが自らの思いを語り、水に入って洗礼を受けた。仲間たちは湖を背に集まり、その新しい一歩を喜んだ。

前日、山中湖の洗礼式を終えた仲間たち
前日の山中湖。洗礼式を終えた仲間たち。

その洗礼は、前々日の夕食会で「私も信じたい」と語ったことから始まった。翌日には山中湖で水に入る。アーサー先生は二日目の午後、この早い展開を仲間との会話で振り返り、普通なら考えられないことが目の前で起こっている、と喜んだ。一人が踏み出した一歩を見届けた直後、湖の歩道ではまた新しい対話が待っていた。

洗礼式は、仲間だけで閉じた出来事ではなかった。湖沿いの歩道にはほかの人たちも行き交っている。集まる人々を見て足を止めたり、写真を撮ったりする人がいた。わかさんの新しい一歩を祝う時間のすぐそばで、別の出会いも始まっていた。

洗礼式の前後、湖沿いの歩道でも海外から来た人たちと出会っていた。式を終えたあと、アーサー先生が通りかかった一人に英語で出身を尋ねると、返事は「ボリビア」。先生は、いま洗礼式をしたところだと伝え、出会えたことを感謝してその方のために祈った。相手もスペイン語で祈りを返す。神は日本を愛している、と呼びかけ、そのメッセージを多くの人が受け取るようにと願った。

山中湖の歩道で出会った、ボリビアからのご夫婦。
山中湖の歩道で出会った、ボリビアからのご夫婦。

山中湖の水面を横に見ながら始まったのは、準備された式次第にはない、短い祈りの交わりだった。出身地を尋ねた時には、相手がどんな言葉で応えるか分からない。ボリビアと日本、遠く離れた二つの国から来た人が、その場で一緒に祈った。

ご夫婦とともに、国を越えて祈りを交わす。
ご夫婦とともに、国を越えて祈りを交わす。

たまたま同じ湖畔の歩道を通った人と、国を越えて祈りを交わす。前日のボリビアからの方との出会いと、この日の韓国からの方々との出会いは、同じ旅の中で重なった。十字架のそばで声をかけ、相手の声に耳を傾ける。その積み重ねが、歩く道に新しい表情を与えていた。

翌日、韓国から来た人たちに「日本を愛してくださって感謝します」と伝えた言葉も、この湖畔の祈りと響き合う。国名だけを並べれば離れた話に見えるかもしれない。けれども、どちらも目の前にいる一人に声をかけ、返ってきた言葉を受け止めた場面だった。

洗礼式後、山中湖沿いの歩道を十字架とともに進むアーサー先生
洗礼式のあと、山中湖沿いの歩道を進む。

THE OPEN AIR CHAPEL

道そのものが青空チャペルに

午後、木々に囲まれた道へ入っても会話は途切れなかった。仲間が十字架を担ぎ、アーサー先生がその横を歩く。途中で立ち止まり、また並んで進む。一緒に歩いているからこそ、話は自然に続いていく。

アーサー先生は、歩きながら語り、思いを打ち明け、祈るこの時間を「青空教室」「青空チャペル」と呼んだ。「Uberチャペル」という言葉も飛び出す。建物の中に集まるのではなく、移動する道そのものが祈りの場になる。この午後も、仲間たちは歩きながら祈りをささげた。

歩きながら話すと、机を挟んで向き合う時とは違う言葉が出てくる。アーサー先生は、会話の中に告白があり、祈りがあり、メッセージがあると話す。途中から加わった仲間と並んで歩き、一緒に祈れることへの感謝も口にした。十字架の行進を、誰かがただ眺める催しではなく、出会った人が言葉を交わせる場としている。

木の十字架を肩に載せ、笑顔で歩くアーサー先生
仲間と言葉を交わしながら、十字架とともに歩く。

アーサー先生は、イエスが弟子たちと町や村を巡り、歩きながら話したことにも触れた。エマオへ向かう道で、弟子たちの心が燃えたという聖書の場面を思い浮かべる。歩いていると、用意した話だけでは終わらない。隣の人が今感じていることを聞き、自分でも思いがけない言葉が出てくる。先生が「青空チャペル」と呼ぶのは、そんな会話の場でもあった。

午後には三人で並んで歩きながら祈る時間があった。一人は一緒に歩けることへの感謝を、もう一人は十字架を見た人々への祈りを口にする。そして、自分のこれからの歩みが導かれるようにと願う声も続いた。誰かが代表して祈りを終えるのではなく、言葉を受け取った人が次の祈りへつないでいく。

祈りの中には、車から十字架を見た人たちへの思いもあった。道ですれ違った人の名前は知らなくても、見かけた光景がその心に何かを残すようにと願う。歩いている三人だけで完結しない祈りが、さらに先の道へ向かっていた。

午後の木々の道を十字架を担ぐ仲間と歩くアーサー先生
午後、十字架を担ぐ仲間と歩きながら語り合う。

祈り終えても道は続く。今の仕事、これから向かう場所、信仰について考えていること。歩く速さに合わせて話し、言葉に詰まれば少し黙って、また話す。外を歩く時間そのものが、互いの人生の話を聞く時間になっていた。

前日、山中湖の洗礼式の後にボリビアから来た人と祈り合い、二日目には韓国から来た人たちに感謝を伝えた。朝の詩篇、休憩中の会話、道で交わした挨拶、午後の祈りは、別々の出来事ではない。人と出会い、その声を聞き、また歩き出すことが、この行進をつくっている。

一日の終わりには、「今日も楽しかったね」と声を掛け合った。足の具合を気にする仲間に向けては、「歩けなかったことを嘆くのではなくて、歩けたことを感謝」という言葉も出た。朝から同じ距離を歩いた人ばかりではない。一人ひとりがこの日できたことを携え、次の道へ向かう。

朝に思い描いた水路のそばの木は、道端で本物の木になった。歌声が続き、韓国から来た人たちが笑顔で手を振った。その出会いは、前日の山中湖でボリビアからの方と祈り合った時間も思い出させる。午後には木々の道で、歩きながら仲間の祈りを聞いた。十字架とともに進む二日目は、誰かの声に耳を傾け、今日の一歩を感謝する一日になった。

DAY 03 2026.09.26

「今日会えただけで十分です」――雨の富士山、三つの洗礼と出会いの一日【DAY03】

富士山一周十字架行進 DAY03 · 2026年9月26日
富士山一周十字架行進 DAY03 · 2026年9月26日

十字架を受け取って初めて、その重さを知った人がいた。歩き続けたい気持ちはあるのに、足がついてこなくなった人もいた。そして、一日の行進が終わってから、ようやく会えた人たちも。

2026年9月26日、富士山一周十字架行進の3日目。雨の道を進むアーサー先生の周りには、朝の集合写真だけでは収まりきらない出会いがあった。途中で加わり、途中で帰り、車から支え、もう一度歩き出す。そのたびに隣を歩く顔ぶれが変わり、新しい話が始まる。

この日の終わり、本栖湖で洗礼を受けたのは、エイジさん、ユウダイさん、あおさんの三人だった。そこに至るまでには、それぞれの道のりがある。湖に入った数分間だけでなく、その前後に交わされた言葉や差し伸べられた手まで、一緒にたどってみたい。

朝の輪に、新しい仲間が加わる

出発前、アーサー先生が選んだ賛美は「この日は主が造られた」。今日という日を与えてくださった神を喜び、歌う。雨が気になる朝にも、まずその声を合わせるところから一日は始まった。

続いて聖書を開いたのは、タナカツさん。マタイの福音書7章、岩の上と砂の上に家を建てた二人の話を読む。どちらの家にも雨が降り、風が吹く。違いが現れるのは、その家が何の上に建てられていたかというところだった。

アーサー先生は、見える建物よりも、見えない土台へと話を進める。人からどう見られるかに心を使い、自分ではない自分を装ってしまうこと。そんなとき、自分の人生を本当に支えているものは何なのか。

これからリヤカーでの長い旅に出るタナカツさんにも、心配はある。それでも、ジーザスを頼ることは無責任になることではない。頼りながら、自分に与えられた感性を使っていくのだと、アーサー先生は励ました。

「絶対にお前は愛されてるから」

この朝には、タナカツさんの旅に関わる新しい仲間も来ていた。初対面の挨拶を受けたアーサー先生は、彼らがタナカツさんを大切に思っているからこそ、ここにいるのだと受け止める。紹介は、肩書を並べるより先に、互いの信頼を確かめるようなやり取りになった。

アーサー先生のバイクチーム「ロードエンジェルス」からも、この日新たに参加するメンバーがいる。後藤さんは、歩道のない場所もあること、周りの車に気をつけることを伝えた。十字架を組み、みんなで写真に収まる。祈りを終えると、それぞれの一歩が動き出した。

出発前、仲間たちで十字架を組み立てる。
出発前、仲間たちで十字架を組み立てる。
DAY03の朝。一緒に歩き始める仲間たち。
DAY03の朝。一緒に歩き始める仲間たち。

いつものバイクではなく、自分の足で

歩き始めて間もなく、十字架を肩にしたのは、ハセさんだった。アーサー先生は持ち方を見ながら角度を伝え、同時に、前をよく見るよう声をかける。肩に乗せれば終わりではない。十字架の向き、体との距離、近づいてくる車。歩きながら、一つずつ覚えていく。

ハセさんは、救急隊員として働いてきた人だ。消防の仕事の話になると、華やかな制服の姿だけではない、地道な現場の話が出てくる。これからその仕事を離れ、タナカツさんの旅に同行するつもりだという。

体を動かすことが好きで、その体を人の役に立てたい。そんな話を聞きながら、アーサー先生は、新しい出会いへ進もうとしている彼を喜んだ。

初めて十字架を担ぐハセさん。アーサー先生とともに歩く。
初めて十字架を担ぐハセさん。アーサー先生とともに歩く。

限られた時間でも一緒に歩こうと来る仲間がいる一方で、帰り方まで自分で用意してきた人もいる。

途中から加わった地元のバイク仲間には、この日の参加につながる、前日の再会があった。

9月25日、彼はバイクに乗って、御殿場へ向かおうとしていた。そこで出会ったのが、十字架を携えて歩くアーサー先生たちだった。

「十字架行進やってるの知らなくて」
「たまたま俺、御殿場行こうと思って」

そう話す彼に、アーサー先生は「お前いつも知らないな」と返した。行進の日程を知って会いに来たわけではないのに、なぜか今年も出会ってしまう。

「お前といつも巡り会うな」

アーサー先生によれば、こうして偶然顔を合わせるのは、三年続けてのことだった。彼がふだんバイクで使う道と、先生が十字架を担いで進む道。その時間まで重なって、また会えた。

そこで彼は、翌日の行程を尋ねた。

「明日どこ歩くんですか?」
「ちょっとじゃあ明日頑張って来ます」
DAY02|9月25日。バイクで御殿場へ向かう途中、アーサー先生たちと偶然の再会。翌日の参加を約束した。
DAY02|9月25日。バイクで御殿場へ向かう途中、アーサー先生たちと偶然の再会。翌日の参加を約束した。

そして9月26日、その言葉どおり、今度は一緒に歩くためにやって来た。

「え、ちょっと歩くスタイルで来たの?」

アーサー先生がバイクはどうしたのかと尋ねると、彼は父親に車で送ってもらったと答えた。帰りの段取りも、すでにできていた。先回りして朝霧の道の駅に自転車を置き、そこまで一緒に歩いたあとは、自転車で帰るつもりなのだ。

「さすが。さすがお前慣れてんな」

前日はバイクで偶然出会い、今日は歩くために準備して来た。その違いは、車で送ってもらったことや、先に置いてきた自転車の話に、具体的に表れていた。

歩きながら、話題は愛車のバイクにも移っていく。「いい音鳴ってたよな」とアーサー先生。彼はマフラーの話をし、バイクを選んだときのことも話した。いつも走っている道を、この日は仲間と足並みを合わせ、話しながら進んでいく。

毎年、不思議と巡り会う人が、今年は翌日の行進にも加わっている。たまたま会えた喜びを、その場の挨拶だけで終わらせず、もう一度会いに来てくれた。前日に交わした短い約束が、今日は一緒に歩く時間になっていた。

DAY03|9月26日。前日再会した青い服の男性が、約束どおり歩くために合流。
DAY03|9月26日。前日再会した青い服の男性が、約束どおり歩くために合流。

昨日の歩く速さが話題になったとき、アーサー先生はこう言っていた。

「これ競技じゃないからね」
「大切なのはみんななんだから」

その言葉どおり、速く歩ける人だけの列にはならなかった。

道中では、その場にいない知人のために祈る時間も持たれた。祈りをあとで本人へ届けようという話になる。一緒に歩く人が持ってきた願いは、この道に来られなかった人へも向けられていた。

十字架のチョッパーと、初めて知る重み

ジョシュアさんは、子どもの頃からアーサー先生を知っていて、最近、先生のバイクチーム「ロードエンジェルス」のメンバーになった。この日は十字架を担ぎ、アーサー先生とともに歩いた。

ジョシュアさんが十字架を担ぐと、アーサー先生の紹介が始まった。キューバから来た、サンティアゴ、レゲエダンサー――話はどんどん広がっていく。

そこへ、すかさず訂正が入る。

「全部、全部違う」

本当の経歴紹介ではなく、いつもの冗談だった。普段はローライダーSTに乗っているジョシュアさんが、この日は「十字架のチョッパー」を担いでいる。バイク仲間らしい言い方に変わると、行進の一場面がそのまま彼らの会話になる。

誰かが担いでいる間、その隣では別の人が話を聞く。後ろから声がかかり、持つ位置を直し、交代する。大きな木の十字架は、眺めるだけのものではなく、一人ひとりが体で受け取るものになっていた。

十字架を担ぐジョシュアさんとアーサー先生。冗談を交わしながら歩く。
十字架を担ぐジョシュアさんとアーサー先生。冗談を交わしながら歩く。

キャンプの話が、これからの生き方の話になる

トクちゃんが十字架を受け取ったときにも、まず出たのは、その重さへの実感だった。上り坂の話になると、アーサー先生はおなじみの言葉を添える。

「人生は上り坂、下り坂、そしてまさか」

けれど、そこから続いたのは、気合だけで坂を越えようという話ではない。長くキャンプをしてきたトクちゃんが、上高地の近くでリトリートのための施設を開こうと動いていることを話すと、アーサー先生は、その仕事が人にどんな時間を渡せるのかを語り始めた。

「自然は心を取り戻す場所だから」

忙しい生活の中では、自分が何を感じているのかさえ、ゆっくり確かめる暇がなくなる。外へ出て、自然と向き合い、人と話す。そこで初めて、抱えていたことが言葉になることもある。

セミナーも、教室の中だけでなく、歩きながらできるのではないか。アーサー先生の提案は、まさにそのとき目の前で起きていることだった。十字架を担いで歩きながら、一人の人が、これからやりたい仕事の話をする。その話を聞く人が、その人自身もまだ言い尽くしていなかった価値を見つけ、返していく。

道端の彼岸花を見つけたときには、アーサー先生がその形に目を留めた。

「すげえアートだよな。芸術作品」

歩いているから目に入り、誰かが声にするから、ほかの人も気づく。会話は自然の話から聖書へ、また目の前の花へと戻ってきた。

小さな応援団も

小さな応援団として加わったのは、チワワのミミとメルの二匹。ミミは生後三か月だ。顔を向けてもらおうと声をかけ、耳の大きさや姿を見て、何度も「かわいい」が続いた。

人だけでなく、犬を連れて訪れる人もいる。十字架や歩く距離の話が続いていたところに、二匹の姿に、話題がすっかり変わる。

ヒロさんと、お茶の先生として紹介された美央さんも、それぞれの形でこの日に加わっていた。ヒロさんの移動する茶室は「ウーバー茶室」と呼ばれ、車で旅をしながら工夫を重ねる暮らしが話題になる。茶道具をどう積むかという話にも、ふだんから手を動かしている人ならではの具体性があった。

一方、歩くうちに靴底がめくれ、いったん車に乗る人もいた。アーサー先生は、またタイミングを見て担げばいいと声をかける。歩く時間と休む時間を入れ替えながら、それぞれが一日の中に居場所を持っていた。

休憩の輪に加わった、小さな応援団。
休憩の輪に加わった、小さな応援団。

開かなくなったドアに、仲間が集まる

サポートを中心に加わっていた小野さんとは、雨の話になった。今日の雨の降り方や前線の位置について聞き、明日の見通しも尋ねる。小野さんは、明日は今日よりよいはずだと話してくれた。

昼の休憩に入るころ、思いがけない出来事が起きた。車のドアが開かない。バッグのひもが噛み込んでしまったらしい。

荷物をいったん上げてみようか。内側から見れば分かるだろうか。車の周りで相談が始まり、車に詳しい仲間も加わった。アメリカでプロのレーサーをしていた人だという話に、周りから期待の声が上がる。

「精鋭たちが集まった」

すぐに解決とはいかない。少しずつ状態を確かめ、やがてドアが開くと、「さすが」「よかった」と声が重なった。そのあとには、屋根のある場所で雨宿りしようという案内が続く。

十字架を担ぐ姿だけを追っていたら見えない、もう一つの行進の風景だった。困ったことが起きた場所へ、それぞれにできることのある人が集まってくる。

この休憩中にも、「今来ました」と挨拶する人がいた。昼食を取る人、雨を避ける人、到着したばかりの人。立ち止まっている時間にも、会話と出会いは続いていた。

椅子に座っていても、この一日の中にいる

アツシさんのために、オレンジ色の椅子が勧められた。まだもう一度歩きたいという思いはある。しかし、すでに足には負担がきている。

パワーリフティングに取り組んできたアツシさんにとって、挑むことは身近なことだ。それでも、長い道を仲間と歩くことは、一人で重量に向き合うのとは違っていた。

休憩の輪では、自分が実際に参加してみて、少し謙虚になるかもしれないという言葉も出た。人に頑張れと言うだけでなく、無理するなと言えるようになるかもしれない。足が止まった時間に、自分が人へ向けてきた言葉を振り返っていた。

アーサー先生は、後藤さんのことを話した。本当は歩きたい人なのに、サポートに徹してくれている。歩くか歩かないかだけで、その働きを測ることはできない。

歩けないときにも、ジーザスのためにできることがある。その意識を忘れないようにと、アーサー先生は話した。

車を動かす。連絡を取る。必要なものを用意する。その一つひとつを担う人がいて、歩く人は次へ進める。

アツシさんが読み込んできた『You are loved』のことも、ここで話に上った。ボロボロになるまで読んだ本と、聖書につけた目印。その姿を見たタナカツさんも、刺激を受けていたという。

DAY02|前日の一枚。聖書と読み込んだ『You are loved』を手に、アツシさん、アーサー先生、タナカツさん。
DAY02|前日の一枚。聖書と読み込んだ『You are loved』を手に、アツシさん、アーサー先生、タナカツさん。

祈りを合わせ、午後の道へ

再出発の祈りを任されたのは純一さん。手をつないだ輪の中で、半日を終えた感謝と、残りの道も一人ひとりが守られるようにという願いを言葉にした。

「足痛い人は無理しないように。歩きたい人は楽しんで歩きましょう」

アーサー先生の声を受けて、また道へ出る。先には霧がかかっていた。「幻想的ですね」「幻想的だね」と言葉が交わされる。晴れた日の富士山とは違う風景を見ながら、一行は進んだ。

午後の再出発を前に、仲間たちで祈る。
午後の再出発を前に、仲間たちで祈る。
霧のかかる道へ、再び十字架とともに。
霧のかかる道へ、再び十字架とともに。

エイジさんの信仰の告白、そして洗礼へ

エイジさんは、フライデーナイトに足を運び、アーサー先生の話を聞いてきた人だった。この日は、一緒に歩くために参加した。

十字架を担ぎながら、エイジさんは信仰についても話した。自分は信じている。それでも、長く信仰を持つ人と比べて、引け目を感じてしまうところがある。

アーサー先生は、同じものさしで比べなくていいと応じた。あなたには、あなたに与えられたものがある。いま感じているジーザスへの思いを大切にして、関係を深めていけばいい。

湖に入る前に、アーサー先生は、心にジーザスを迎え入れる祈りへと導いた。エイジさんは十字架を担いだまま、自分の心を開いて信じることを祈った。

十字架を担いで歩きながら交わした言葉と祈りが、本栖湖での洗礼へとつながっていった。

会いに来る人へ、時間を渡す

午後には、北海道からはるばるいらしたヒデさんとノリさんが合流した。ヒデさんを迎える声が上がり、ノリさんには一緒に写る写真を撮ってほしいと声がかかる。

「会いたくて会いたくて」

「会いたくて」という言葉に、遠くからこの場所へ足を運んでくださった思いが伝わってくる。途中では、ノリピーさんが楽しんでいるだろうかと、アーサー先生が仲間の様子を尋ねる場面もある。会話の合間にも、ほかの仲間のことを気にかけていた。

タナカツさんとの会話では、これからの旅で、会いに来てくれた人とどう向き合うかも話題になった。自分には進むべき距離がある。予定もある。それでも、人が来てくれたときには、その人と話す時間が大切なのだと、アーサー先生は自分の経験を交えて伝える。

「時間を与えるっていうのも愛だから」

必ずしも長時間でなくていい。何か特別な話をしなければならないわけでもない。一緒にいる時間や何気ない会話に励まされ、その人との関係が育っていく。

それは、これからのための助言であると同時に、この日に何度も起きていたことでもあった。

ジーザスとの出会いに、作り替えられていく

十字架を担ぐユウダイさんが語ったのは、旅の思い出だけではなかった。ジーザスに出会う前の自分と、出会ってから変えられてきた自分。その歩みを、隣を歩く仲間たちに話してくれた。

約四年、バンを乗り継ぎ、犬とともに旅をしてきた。自ら「ずっとヒッピー」と振り返る暮らしの中で、山にテントを張り、人との関わりを断って、自分の内側を見つめ続けた時期もあった。スピリチュアルな体験に深く入り込み、当時はそれでよいと思っていたという。

転機は、約三か月前。山梨で出会った人が、ユウダイさんのために祈り、新約聖書を手渡してくれた。読み始めると、止まらなくなった。

「聖書読んでたらもう答えしか書いてなくて」

それまで正しいと思っていたものを、聖書の言葉に照らして見つめ直すようになった。本質を求め続けてきたユウダイさんに、アーサー先生は、ジーザスが新約聖書との出会いへ導いてくださったのだと語った。

その変化は、身近な人との関係にも現れた。長く一緒に食事をすることのなかったお母さんと、久しぶりに食卓を囲み、二時間ほど話したという。最後には、互いに「ありがとう」「ごめんなさい」を交わすことができた。

「イエス様ありがとう」と祈る日々の中で、人生がよい方向へ変わっている実感がある。ユウダイさんはそう証しした。ジーザスとの出会いによって作り替えられていくことが、お母さんと向き合い、感謝と謝罪を伝え合うという、暮らしの中の出来事になっていた。

今回の参加にも、人と人とのつながりがあった。ブレッシングナイトでマロンさんが話をつなぎ、アーサー先生はユウダイさんと電話で話し、一緒に祈っていた。行進に参加したいという話になり、ユウダイさんは富士山へ来ることを選んだ。

ここに来た本人だけで、この出会いができているのではない。聖書を渡した人、祈った人、電話をつないだ人。アーサー先生は、ユウダイさんの洗礼を、その人たちにも見てもらいたいと話した。

一方、彼の話を隣で聞いていたタナカツさんからは、こんな言葉が出た。

「新約聖書やっぱりちゃんと読もうと思った」

洗礼を受けるために来た人が、自分の経験を話すことで、すでに周りの人を励ましている。アーサー先生も、お互いに感化される出会いなのだと喜んだ。

仲間たちにもこの歩みを語ったユウダイさんに、アーサー先生は、ジーザスにどう出会い、どう変えられたかを伝えることが「証し」なのだと話した。お母さんとの関係が変わったことも、その一つ。自分に起きた変化を語る言葉が、今度は隣を歩く人への励ましになっていた。

十字架を担ぎ、自分の旅と聖書との出会いを語るユウダイさん。
十字架を担ぎ、自分の旅と聖書との出会いを語るユウダイさん。

歩き終えた先で、湖へ向かう

道の上の会話は、行進の終わりまで続いた。ゴールの声がかかったときにも、ユウダイさんは、アーサー先生の説明が分かりやすかったと伝えていた。

足を引きずりながら進んだ安藤さんにも、「頑張ったね」と声がかかる。

歩行を終えた一行は、車に分かれて本栖湖へ移動した。車のない人には、誰かが席を用意する。着いてからも、着替えられる場所を確かめ、準備を進めた。

クニさんとともに来ていたあおさんも、エイジさん、ユウダイさんとともに、この日、本栖湖で信仰を告白し、洗礼を受けた。道中をともにした仲間たちが、水辺で三人を見守った。

三人の名前が、一人ずつ呼ばれる

湖では、特有の硬い岩場のため、まず足元への注意が伝えられた。裸足ではなく、靴を履いたまま入るように。寒がっている人には、終わったらすぐに着替えられるよう気を配る。

再びみんなで歌ったのは、「主は今生きておられる」。そしてアーサー先生は、洗礼を受ける人に手を挙げてもらった。

一人、二人、三人。

すでに道中で祈った人も、以前に電話で祈った人もいる。ここでもう一度、ジーザスを心に迎える祈りをともにする。アーサー先生は、儀式の形だけでなく、本人が心を開くことの大切さを伝えた。

最初に名前を呼ばれたのは、エイジさんだった。

手を持ち、座るようにすること、ゆっくり行うことが伝えられる。アーサー先生が信仰を確かめると、エイジさんは「信じます」と答えた。父と子と聖霊の御名によって、洗礼が授けられる。

雨の道で十字架を担ぎ、心を開いて祈った人が、今度は湖の水に身をゆだねた。

本栖湖で、洗礼を受けるエイジさん。
本栖湖で、洗礼を受けるエイジさん。

次はユウダイさん。

「よかったな。ついにこの日を迎えて」

山の中で過ごしてきたこと、新約聖書を読み続けたこと、電話で祈ったこと。それらを話していた人が、ここで自分の信仰を言葉にする。ユウダイさんも「信じます」と答え、洗礼を受けた。

水の中からは、思ったよりぬるい、大丈夫だという声が上がった。外で感じる寒さとは違う、その場で初めて分かる感触だった。

信仰を告白し、洗礼を受けるユウダイさん。
信仰を告白し、洗礼を受けるユウダイさん。

そして、あおさんが呼ばれた。

戸惑いを口にする彼女に、アーサー先生は、人間はみんな不完全なのだと返した。クニさんにも、一緒にそばへ来るよう声がかかる。手を取り、体を支える準備をする。

アーサー先生が信仰を尋ねると、あおさんは「はい」と答え、洗礼を受けた。

「おめでとうございます」
「ハグしてあげろ」

祝う声のすぐ隣で、靴を持ってきてほしいという声も飛ぶ。裸足になった人を気遣い、手を貸し、水辺から戻るのを助ける。祈りと、濡れた体を気にかける手とが、同じ場所にあった。

ご主人のクニさんがそばで支える中、洗礼を受けるあおさん。
ご主人のクニさんがそばで支える中、洗礼を受けるあおさん。

最後に、後藤さん、たけちゃん、純一さんが祈った。雨の中で一日の行程を終えられたこと。三人が洗礼を受けたこと。そして、それぞれがこれからの場所で成長していけるように。

祈りは、その場にいる人だけで終わらなかった。いまこちらへ向かっている人にも、明日の朝に向けて出発する人にも、守りがあるようにと続いた。

遅れて着いた人にも、会えてよかったと言える

洗礼が終わったあと、ようやく到着した一行がいた。ナビの設定で違う方向へ進み、回り道をしてしまったという。アーサー先生は、よくここを見つけたと迎えた。

ケンちゃんにも声がかかる。到着した人たちとの話では、弟さんがその朝に羽田空港へ着き、待ち合わせてから来たことが分かった。弟さんと妹さんは、初めての十字架行進だった。

アーサー先生は尋ねた。

「俺にやれることあります?」

返ってきたのは、何かを頼む言葉ではなかった。

「今日会えただけで十分です」

この日は歩けなかった。それでも、来た意味がなくなったわけではない。明日は朝から一緒に歩こうと話し、到着した人たちも写真の輪に入る。行進の終わりが、その人たちにとっては出会いの始まりになった。

聖書を濡らさないように、帰る車に乗れるように

洗礼を受けたユウダイさんには、「ヨハネ」という洗礼名が贈られた。アーサー先生が思い浮かべたのは、バプテスマのヨハネだったという。エイジさんには「テモテ」。一人ずつ名前を確かめながら、新しい歩みへの言葉が添えられた。

ユウダイさんに手渡された新約聖書には、アーサー先生の十字架行進の写真が入っている。洗礼の記録にサインをし、十字架も贈る。受け取ったものが雨に濡れないよう、袋を用意する声がかかった。

ヒロさんは、暖房のあるトイレの場所を教えてくれた。寒さを感じている人が着替え、温まれるようにするためだった。帰る人を優先して贈り物を整え、車を置いた場所へ戻るための送迎も相談する。

最後の集合写真では、水たまりを避けて並び、前の人がしゃがむ。なかなか一度では終わらない撮影にも、また声が飛び交った。

「また明日」
「みんな風邪ひかないように」

別れの挨拶を交わし、抱き合い、それぞれの車へ向かう。

別れ際、抱擁を交わす二人。
別れ際、抱擁を交わす二人。

誕生日を前に受け取った贈り物

翌9月27日に誕生日を迎えるアーサー先生にとって、この日は74歳最後の日でもあった。周りがその体力に驚くと、先生は、年を重ねる中で、自分にできる最善をしているのだと話した。自分のやり方を、ほかの人に押しつけるのではないとも。

そして、この日の出会いを、誕生日の贈り物をもらったようだと喜んだ。

三人が洗礼を受けた。初めて十字架を担いだ人がいた。休んだ人にも、遅れて着いた人にも、その人だけの一日があった。

本栖湖で交わされた「今日会えただけで十分です」という言葉は、朝に歌った「この日は主が造られた」への、一人の人の返事のようでもある。雨の道を歩いた9月26日。同じ距離を歩いたわけではなくても、最後まで互いに声をかけ、また会う約束を交わす人たちがいた。

DAY 04 2026.09.27

107キロの先に、また始まる道。三人の洗礼と、75歳を祝う夜 — 富士山十字架行進 DAY04

富士山を巡る四日間の、最後の朝。集合した仲間の間で、もう笑いが起きていた。一人の参加者の「夢の中でも歩いていた」という話に、アーサー先生が「ムーンウォークじゃなくて、ドリームウォーク」と返す。前日まで歩いた足は痛い。それでも、また顔を合わせれば話が始まり、誰かが笑う。最終日は、そんな日常の続きのように始まった。

この日に待っていたのは、107キロのゴールだけではなかった。遠くから駆けつけて最後の道に加わる人。家族と十字架を担ぐ願いがかなった人。そして、歩き終えた湖で洗礼を受けた三人。夜には75歳を祝う仲間が集まり、先生との出会いや、共に歩いてきた日々を語り合った。

四日間を閉じる一日は、一人ひとりの「ここから」が見えてくる一日でもあった。

最終日の朝。これから歩く仲間と、道を支える仲間が集まった。
最終日の朝。これから歩く仲間と、道を支える仲間が集まった。

朝の言葉を、それぞれの足で持ち出す

出発前の祈りでは、歩く人だけでなく、サポートする人の安全も願われた。すでに車をゴールへ運び、送迎の車で戻ってくる段取りが動いている。最後まで歩ける人も、途中から加わる人もいる。その違いを受け止める準備が、行進の足元にあった。

朝のディボーションで開かれたのは、ヨハネの福音書の、ぶどうの木と枝の言葉。枝が木から離れて実を結べないように、人も命の源につながって生きる。先生はその関係を「パートナーシップ」と呼び、神を知識として知ることから、日々の関係の中で信頼することへと話を進めた。

聖書を一度読めば、全部分かるわけではない。同じ言葉に何度も触れるうちに、少しずつ自分の中に染み込み、前には見えなかった意味が通ってくる。その話を聞いたあとで、皆は道へ出ていった。この朝の「つながる」「実を結ぶ」という言葉は、歩きながら交わす会話にも、その後の洗礼にも、繰り返し顔を出すことになる。

「自然に感謝するのが好きなんです」

森を横に見ながら歩く道で、ノリピーさんが先生に尋ねた。太陽や自然を、どういうふうに捉えているのか。いろいろなものに感謝することが気持ちよくて、好きなのだという。

大きな講演会の質問ではない。十字架のそばを歩く、すぐ隣の人から出てきた問いだった。先生は、自然の美しさや、そこに触れて感謝が生まれることを受け止めながら、その先に、それらを造った方がいるという話をした。花や鳥、太陽を見つめるところから、創造主との関係へ。目の前の森を離れずに、朝の聖書の言葉へと会話がつながっていった。

ノリピーさんは「今日も二キロ歩きます」と話していた。やがて「ちょうど二キロだよ」という声がかかる。自分で決めた距離を一緒に歩き、その間に自分の疑問を言葉にし、答えを聞く。その人の歩幅で過ごした時間が、そこにはあった。

森の道を歩きながら、自然への感謝について話すノリピーさんとアーサー先生。
森の道を歩きながら、自然への感謝について話すノリピーさんとアーサー先生。

克成さんが見ていた、先生の歩幅

歩きながらつないだClubhouseでは、克成さんが前日の行進を振り返った。先生とともに歩く中で、その元気な姿に驚いたという。

心に残ったのは、隣に来た人に歩く速さを合わせ、会話を続ける先生の姿だった。リヤカーを引いて旅をしてきた克成さんは、今回の行進を通して、相手の歩幅に合わせる大切さをあらためて感じたと話した。

「勉強させてもらってます」

一緒に歩く人の言葉に耳を傾けながら、道を進んでいく。克成さんは、先生のそんな姿から学んだことを、電話の向こうの仲間にも伝えていた。

歩きながら電話をつなぐ先生。沿道の会話は、離れた場所で聞いている人たちにも届いていた。
歩きながら電話をつなぐ先生。沿道の会話は、離れた場所で聞いている人たちにも届いていた。

昨日の出会いが、今日の言葉になる

Clubhouseでは、前日に出会ったユウダイさんのことも話題になった。自分の中で積み重ねてきた体験と、聖書の言葉が結びついたこと。その話を聞く先生の姿や、二人のやり取りを、克成さんは印象深く受け止めていた。

克成さん自身にも、以前もらった聖書があった。「読まなきゃ」と思っていたその一冊を、あらためて開いてみたくなる。誰かの証しを聞くことが、自分の手元にあるものとの向き合い方を変えていく。

この日には、ユウダイさんから届いた感謝の連絡について語る場面もあった。道で別れたら終わりではなく、昨日の出会いが翌日の言葉として返ってくる。四日間に起きたことは、一日ごとの区切りを越えて続いていた。

一方で、森の中では電話の電波が途切れがちになる。ローレンさんやみかすんに進行をお願いする相談をしながら、歩く人たちは歩き続ける。電話越しには誕生日の歌も届き、先生も笑って応じた。画面の向こうの仲間も、この朝の輪の中にいた。

休憩中も電話で仲間とつながる。歩く道と、離れた場所から参加する人たちの時間が重なった。
休憩中も電話で仲間とつながる。歩く道と、離れた場所から参加する人たちの時間が重なった。

レーサーの体験から聞いた、「一つになる」ということ

克成さんがもう一つ強く心に残ったと話したのが、レーサーのヒロさんとの会話だった。レースでマシンや周囲の状況と一体になる感覚と、聖書の語ることがつながっているという。先生を通じて初めて聞く話に加え、違う世界を生きてきた人の言葉が、克成さんの理解を広げていた。

異なる経験を持つ仲間の話を聞くことも、この行進での学びになっていた。克成さんは、ゴールでも、皆からいろいろな角度で話を聞けたことに触れ、「もっと求めたい」と語ることになる。

十字架を交代しながら、対話も続く。さまざまな経験を持つ仲間が、互いの言葉に耳を傾けた。
十字架を交代しながら、対話も続く。さまざまな経験を持つ仲間が、互いの言葉に耳を傾けた。

ヒロさんと、「良い実」の話

一方、ヒロさんは、朝のディボーションが心に残ったと話していた。イエスにつながって生まれる実は、優しさや、人を思いやること。反対に、自分の中に恨みや赦せなさがあるなら、それはどういう状態なのか。朝の「ぶどうの木」の話を、自分の今に引き寄せて考えていた。

歩く途中には、先生とヒロさんが祈る時間もあった。志はあっても、そのとおりに生きられない弱さがある。だからこそ、もう一度向き合い、支えてほしい。整った結論を発表するのではなく、自分の言葉で願いを差し出す祈りだった。

午後、献身の洗礼でヒロさんに向けられる「この方にとどまる枝となって実を結ぶ」という問いは、突然現れた言葉ではない。この朝から、道の上で続いていた問いでもあった。

先生の隣で歩くヒロさん。朝に聞いた「実を結ぶ」という言葉が、その日の会話へ続いた。
先生の隣で歩くヒロさん。朝に聞いた「実を結ぶ」という言葉が、その日の会話へ続いた。

休憩の椅子と、湖へ続く相談

休憩場所では、椅子に腰を下ろし、コーヒーを飲みながら仲間と話す。歩いているときとは少し違う、くつろいだ会話が続いていた。

その休憩の中で、洗礼の話も進んでいく。沖縄から来たチカヨさん。そして北海道から来たマキさん。行進を終えたあと、湖で洗礼を受けることになった。ヒロさんも献身の洗礼を願い、三人のための時間が、この日のゴールの先に用意されていく。

その間にも、先へ回って場所を確認する人がいる。車をどこに止めるか、皆で移動できるか。小野さんたちの動きが、歩いている人の見えないところで進んでいた。喜びの場面の前には、いつも、誰かの具体的な働きがある。

休憩の椅子に並び、笑い合う三人。真剣な話と冗談が、自然に行き来する。
休憩の椅子に並び、笑い合う三人。真剣な話と冗談が、自然に行き来する。
道の途中で合流した仲間と。北海道から、沖縄から、それぞれの思いを持って集まった。
道の途中で合流した仲間と。北海道から、沖縄から、それぞれの思いを持って集まった。

「弟と妹も、一緒に」

道の上では、家族の話も聞こえてきた。一人の参加者が、ずっと思い描いていたことを先生に話した。いつか弟と妹が、一緒に十字架行進に参加してくれること。その願いが、今日かなったのだという。

「みんな担いだ?」と先生が尋ねる。「みんな担ぎました」という答えに、「よかった」と返す。大げさな演出はない。長く願ってきたことを、隣で歩く相手に伝え、その喜びを一緒に受け取る短いやり取りだった。

その会話は、前日に洗礼を受けた仲間への喜びにもつながっていた。本人だけの出来事ではなく、一緒に祈り、待っていた人にとっても、うれしい一日だったことが伝わってくる。十字架を次の人へ渡す列の中に、そんな時間の積み重なりがあった。

十字架は次の人の肩へ。担ぐ人が替わるたびに、隣で交わす話も変わっていった。
十字架は次の人の肩へ。担ぐ人が替わるたびに、隣で交わす話も変わっていった。

「語らずして語る」背中

十字架を担いで歩く意味を尋ねる会話では、先生は、アメリカでの一つの出会いを振り返った。十字架の姿を何度か見かけたトラック運転手が、やがて車を止めて会いに来たという話だった。

夫婦の関係で行き詰まっていたその人は、道で見た十字架をきっかけに祈ることを思い出し、妻との関係をやり直していった。そして、歩いている先生を見つけ、感謝を伝えに来たのだという。

長い旅の中で先生が経験したその話を聞きながら、いま目の前を通り過ぎる車から、十字架はどう見えるのだろうと考える。話しかけた人だけが、出会った人とは限らない。名前も知らないまま、背中を見送る人がいる。

先生は、その人たちにも慰めや励ましが届くことを願っていた。

道を行く十字架。話を交わす出会いも、通り過ぎる車の窓からの出会いもある。
道を行く十字架。話を交わす出会いも、通り過ぎる車の窓からの出会いもある。

最後の道にも、笑いがある

ゴールへ向かう道では、仲間同士のやり取りに笑いが起こる場面もあった。言葉遊びが始まり、即興のラップのような掛け合いになり、賛美へと移っていく。「十字架行進にコントの部門ってあったっけ」と先生が笑うほど、道の上はにぎやかだった。

足が痛いという人もいる。十字架を交代しようという声がかかると、まだ担いでいない人に機会を譲ろうと先生が促した。最後の区間を誰が担ぐかで、冗談の「競り」まで始まる。もちろん、本当に値段をつけているわけではない。互いをよく知る仲間の掛け合いの中で、十字架はまた次の肩へ渡っていった。

「次世代にゴールさせるのが俺のビジョン」という先生の言葉もあった。先頭を歩いてきた人が、最後まで自分一人の見せ場にしない。その姿勢は、朝に克成さんが話していた「相手に合わせる歩幅」とも重なる。

ゴールへ向かう道で見せた笑顔。仲間とともに、最後の区間を進んだ。
ゴールへ向かう道で見せた笑顔。仲間とともに、最後の区間を進んだ。

少しでも、一緒に歩きたくて

途中から加わる人は、最後までいた。うっちーさんがゴール地点からこちらへ向かって歩いているという知らせが入り、合流すると、先生は「ちょこっと担ぐか」と声をかけた。「担ぎます」という返事を受け、短い区間でも体験できるように十字架が渡される。写真を撮ってあげて、という声も飛ぶ。

朝からいなければ、この日の輪に入れないわけではない。会えたところが、その人の参加の始まりになる。

犬を連れたお二人も、少しでも会いたいと、ゴールの方から歩いて来てくれた。遠くから先生を見つけ、挨拶し、握手を交わす。小さな犬も一緒に、記念の写真に収まった。全行程を歩いた人も、最後のわずかな距離を共にした人も、その場では同じように迎えられていた。

少しでも一緒に、と歩いて来てくれたお二人と愛犬。出会えた場所で、記念の一枚。
少しでも一緒に、と歩いて来てくれたお二人と愛犬。出会えた場所で、記念の一枚。

ゴール近くで出会ったご家族には、「もうそこだけだから、一緒に歩きましょう」と先生が声をかけた。最後の区間まで、出会いが続いていた。

107キロ。その数字の中にいた人たち

四日間の行進を終え、皆が集まったところで「107キロ」という距離が伝えられた。一本の十字架とともに富士山を巡った道。その数字の中には、晴れた時間も雨に濡れた時間も、初めて担いだ肩も、痛む足をかばって進んだ一歩も入っている。

ゴールのバンのそばでは、駆けつけてくれた俊則さん、郁子さんとも顔を合わせた。

ゴールのバンのそばで、俊則さん、郁子さんと。
ゴールのバンのそばで、俊則さん、郁子さんと。

ヒロさんは「最高の四日間」と話した。克成さんからも、「もっと求めたい」という言葉が出る。終わったから満足して閉じるのではなく、歩いてみたことで、さらに知りたいものができた。そんな声が並んだ。

締めくくりの祈りでは、この先の一歩一歩も、信仰と愛のうちに進めるようにと願われた。皆が頭を下げるそばに、いままで担いできた十字架がある。ゴールの駐車場は、そのまま感謝を伝え合う場所になっていた。

四日間を歩き終え、皆で祈る。107キロを共にした感謝と、これからの歩みへの願い。
四日間を歩き終え、皆で祈る。107キロを共にした感謝と、これからの歩みへの願い。

ここで忘れずに名前が挙がったのが、送迎を支えたタケちゃん、小野さんたちだった。四日間、二日間と、それぞれに時間を使って車を動かし、人と人、スタートとゴールをつないでくれた。歩く人の写真には写りにくい働きが、誰かの「参加できた」を可能にしていた。

夜の集まりでも、この感謝はもう一度語られる。十字架を担ぐ一人の姿を、多くの人が支えていたこと。最後の集合だけを見ても分からない、その道の成り立ちが、皆の言葉から見えてきた。

移動を支える運転席。送迎の働きが、一人ひとりの参加と、次の場所への移動を支えてくれた。
移動を支える運転席。送迎の働きが、一人ひとりの参加と、次の場所への移動を支えてくれた。

画面で聞いていた人と、目の前で話す

ゴールでの挨拶が続く中には、平塚から来た人との会話もあった。家庭で集まり、先生のメッセージを聞き、歌を歌っているのだという。いつも映像を通して聞いていた人が、いま目の前にいる。「いつか呼んでください」という先生の言葉に、「嬉しい」と声が返った。

バイク店の話になり、連絡先を交わし、また写真を撮る。先生のオリジナル新約聖書が贈られると、「めちゃくちゃ嬉しいです」と喜ばれた。ゴールは解散のためだけの場所ではなかった。ここで初めて言葉を交わした人との、次の約束が生まれる場所でもあった。

ゴールの先、湖で待っていた時間

行進を終えた一行は、洗礼式のため湖へ向かった。岸辺には、これから洗礼を受けるチカヨさん、マキさん、そして献身の洗礼を願うヒロさんが並んだ。

先生は、水に入る前に、洗礼の意味を話した。形だけを整えることではなく、イエスを信じ、その方とともに生きる歩みとして受け取ること。これから受ける人も、見守る人も、同じ言葉に耳を傾ける。

それから、一緒に祈った。自分の言葉だけではうまく言い表せなくても、先生のあとについて、一言ずつ心を開いていく。朝に皆で聞いた「つながる」という言葉が、ここでは、一人ひとりの決心を確かめる問いになっていた。

洗礼を前に、岸辺で先生の話を聞く。歩き終えた仲間たちが、その時間を見守った。
洗礼を前に、岸辺で先生の話を聞く。歩き終えた仲間たちが、その時間を見守った。

チカヨさんの洗礼

最初は、沖縄から来たチカヨさん。先生が名前を確かめ、「ついにこの日を迎えられて」と声をかけた。そばで支える人にも、手を添えるように伝えた。

足元を確かめながら、ゆっくり水の中へ。先生は動きを説明し、信仰を尋ね、洗礼を授けた。岸で見守る人たちから、次々に「おめでとう」の声がかかる。

チカヨさんの洗礼。先生と、そばで手を添える人に支えられて。
チカヨさんの洗礼。先生と、そばで手を添える人に支えられて。

「ついに念願が叶って」マキさん

続いて、北海道から来たマキさんが水に入った。「ついに念願が叶って、よかった」。先生の言葉のあと、信仰を確かめる問いに答え、洗礼を受ける。

先生は、ここまで導かれてきたことに感謝し、これからの歩みのために祈った。与えられた命を豊かに生き、その中で受け取る愛を人に分かち合っていけるように。「おめでとうございます」「よかった」という声が、その祈りを包んでいた。

マキさんの洗礼。念願の日を、岸辺の仲間たちも共に喜んだ。
マキさんの洗礼。念願の日を、岸辺の仲間たちも共に喜んだ。

「誓います」ヒロさんの献身

三人目のヒロさんには、献身者として歩む決心が尋ねられた。先生は、その決心に至る道のりも紹介した。かつてアフリカに滞在していたころ、知人に勧められて先生の映像を見たことが励ましになった。帰国後に洗礼を受け、歩みを重ねる中で、さらに神のために仕えていきたいという願いが生まれたのだという。

イエス・キリストを信じ、この方にとどまる枝となって実を結んでいくこと。その問いに、ヒロさんは「誓います」と答えた。朝から道の上で語り、祈っていた思いを、ここでもう一度、自分の声で表す時間だった。

先生は、これからヒロさんが尊く用いられるようにと祈り、献身の洗礼を授けた。水から上がると、ヒロさんの「ありがとうございます」が続く。見守っていた人たちも、その決心を共に受け取っていた。

ヒロさんの献身の洗礼。朝から続いた祈りが、湖での決心につながった。
ヒロさんの献身の洗礼。朝から続いた祈りが、湖での決心につながった。
洗礼を終え、湖で共に祈る。感謝も、感動も、それぞれの言葉になった。
洗礼を終え、湖で共に祈る。感謝も、感動も、それぞれの言葉になった。
三人の新しい歩みを祝って。四日間の最後に、湖で笑顔が並んだ。
三人の新しい歩みを祝って。四日間の最後に、湖で笑顔が並んだ。

名前を書き、今日を手渡す

湖から戻ると、車内では先生が洗礼の記録に筆を走らせた。チカヨさんにはマリア、マキさんにはサラという洗礼名が伝えられ、聖書の人物についての話も交わされる。

大勢で見守った岸辺の時間から、今度は一人の名前を書き、その人に向き合う時間へ。短い挨拶をして帰る人もいれば、そばで話を続ける人もいる。行進が終わり、洗礼が終わっても、先生の周りから会話がなくなることはなかった。

車内で、一人ひとりの名前を書き留める先生。湖の時間が、手元に残る記念になっていく。
車内で、一人ひとりの名前を書き留める先生。湖の時間が、手元に残る記念になっていく。

昔の写真から、もう一度つながる話

午後の会話には、ジョシュさんの子どものころの話も出てきた。お父さんが写真を撮り、先生が赤いスーツを着ていた昔のポスター。そのころ小学生だったジョシュさんが、いまは一緒に十字架行進へ来ている。

ずっと途切れず、同じ場所にいたわけではない。ジョシュさんは、信仰から心が離れていた時期があったことも話した。友人のクニさんとの関わり、バイク仲間とコンビニで出会ったこと、そこで十字架をきっかけに先生の話になったこと。そのいくつもの接点が、再び話を聞きに行く機会につながったという。

クニさんが洗礼を受けると聞き、ジョシュさんは「おめでとう、よかったね」と祝った。すると、「お前もだよ」と声をかけられる。「俺も?」。そのやり取りを思い出して、話す声にも笑いが混じる。やがて二人は先生に洗礼を願い、奥多摩の川へ行った。十一月の川で震えるほど寒かったことまで、皆の記憶に残っていた。

先生には、成長したジョシュさんと、もっと前に渋谷でばったり会った記憶もあった。道玄坂のコンビニから出てきたところへ声をかけられ、家族の名を聞くと、「オーストラリアに行ったやつじゃねえか」と分かった。小学生のころしか知らなかった子が、大きくなって目の前に立っている。その再会を経て、また別のコンビニでバイク仲間との出会いがあり、二人で話を聞きに来ることになった。一本に見える道にも、いくつもの偶然のような接点があった。

話は、前日に洗礼を受けた葵さんへも続いた。洗礼の場所になった本栖湖は、普段から遊びに来ていた場所だったという。よく知る湖が、自分にとって新しい意味を持つ場所になった。その喜びを、そばで見守っていた人たちも一緒に振り返っていた。

一枚の昔の写真から、家族と友人の長い時間がほどけていく。最終日の映像には、ゴールや洗礼のように皆がカメラを向ける場面だけでなく、こうした、輪の端で語られる再会の物語も残っていた。

歩いた服を着替えて、75歳を祝う席へ

夕方、仲間たちは食卓を囲んだ。富士山十字架行進の打ち上げであり、アーサー先生の75歳を祝う集まりでもある。料理を用意してくれたお店への感謝と、この食事が明日への希望につながるようにという祈りから、夜の会が始まった。

初めて行進に参加した感想を求められたジョシュさんは、最後の二日間、車にも乗りながらの参加だったことを率直に話した。そのうえで、あらためて歩いてみて感じたのは、「ボス、半端ねえな」ということ。人が集まる理由を、外から知っているだけでなく、自分も道に出て感じたのだという。

後藤さんからは、タケちゃんや小野さんたちの送迎がなければ、これほど皆で楽しむ行進にはならなかったという感謝が語られた。筋肉痛や足の痛みが、いつの間にか心地よいものに変わっていく。そして、受け取ったものを、自分たちも誰かに与える側になりたい。道を歩いた実感が、そのまま夜の言葉になっていた。

初めて参加した十字架行進を振り返るジョシュさん。自分で歩いて感じた驚きを、仲間に伝えた。
初めて参加した十字架行進を振り返るジョシュさん。自分で歩いて感じた驚きを、仲間に伝えた。

十一年前の電話が、旅を変えた

夜の席では、克成さんが先生との最初の出会いを振り返った。それは十一年前。自分で出版社を立ち上げ、リヤカーを引きながら、全国で本を売っていたころだという。

本で人の役に立ちたいと思って出た旅なのに、なかなか売れない。東京から名古屋まで、一か月半歩いて売れたのは九冊。もうやめようかと思っていたとき、知人が先生との電話をつないでくれた。

そこで先生から伝えられたのは、目の前の人にすぐ本を売ろうとすることから、自分の体験を語り、その人を励ますことへ、という言葉だった。余計なことを考え始めたら、足元を見る。その一歩一歩の先に、縁のある人がいる。

克成さんは、それまでのように、会えばすぐ本を出して説明することをやめた。「何をしているの?」と聞かれたら「旅です」と答える。そこから一対一の会話を楽しむようになった。すると、結果として、本も売れるようになっていったという。

朝、道の上で語った「相手に歩幅を合わせる」という学びの背景には、こんな最初の出会いがあった。十一年前にもらった言葉を、もう一度、先生の隣で歩きながら確かめていたのだ。

克成さんが語った、十一年前の電話から続く道。聞く側にも、笑いと驚きが広がった。
克成さんが語った、十一年前の電話から続く道。聞く側にも、笑いと驚きが広がった。

バングラさんの思い出と、受け継がれる働き

先生の話は、長く旅を共にしたバングラさんへも及んだ。二人で重ねた珍道中の思い出は、しんみりした言葉だけにはならない。何度も笑いが起こる。その人をよく知る者にしかできない語り方で、いまここにいない仲間の存在が、食卓に戻ってくる。

そして先生は、後藤さんのことを話した。自分も歩きたいはずなのに、先生の食事を用意し、水を配り、人を支える方へ回っている。バングラさんと過ごす中で学んできたものが、その働きの中にあるのだという。

朝、皆が歩き始める前に誰かが動いていたこと。途中の休憩で必要なものが用意されていたこと。ゴールで車が待っていたこと。夜の言葉を聞くと、その一つひとつが、単なる段取りではなく、人から人へ受け継がれてきた姿勢として見えてくる。

先生は、前に立つことより、陰の力になることを学んでいる後藤さんにも、大きな可能性を見ていた。歩く背中を支える背中がある。そのことが、最後の夜にあらためて言葉になった。

打ち上げと誕生日祝いの席に集まった仲間たち。歩いた人も、支えた人も、同じ写真に収まった。
打ち上げと誕生日祝いの席に集まった仲間たち。歩いた人も、支えた人も、同じ写真に収まった。

食卓で、もう一度一つに

食事と会話が続く中で、「聖餐式をします」という声がかかった。初めての人にも分かるように、最後の晩餐の話から説明が始まる。パンとぶどう酒を通して、イエスの命と、十字架で流された血を覚えること。忘れずに、ともに歩んでいくこと。

皆でパンを分け、感謝して受け取った。祈りでは、この日の行進と誕生日の集まりへの感謝と、一人ひとりに必要な知恵が与えられることが願われた。

パンを分かち合う聖餐のひととき。食卓を囲んだ仲間が、ともに受け取った。
パンを分かち合う聖餐のひととき。食卓を囲んだ仲間が、ともに受け取った。

朝、木と枝の関係を聞いた人たちが、夜には同じ食卓で、これからも一つになって進めるようにと祈っている。長い一日の途中にいくつもの出会いが入り、その分だけ、この輪も大きくなっていた。

ケーキと歌で祝う、最後の夜

やがて、誕生日の歌とともにケーキが登場した。先生の周りにカメラが集まり、顔を寄せ、笑いながら写真を撮る。道の上でも電話越しに歌っていた誕生日の歌を、今度は同じ部屋で歌う夜になった。

75歳を祝うケーキを囲んで。四日間を終えた夜に、笑顔と歌が重なった。
75歳を祝うケーキを囲んで。四日間を終えた夜に、笑顔と歌が重なった。

ノリピーさんと克成さんから贈られた、先生をあしらった特別なボトルも披露された。手に取って見せる人、近くで眺める人、写真に残す人。プレゼントのたびに、また一つ話が生まれる。

特別なボトルを手に。贈る人の思いと、それを受け取る笑顔が並んだ。
特別なボトルを手に。贈る人の思いと、それを受け取る笑顔が並んだ。
「You Are Loved」と先生の名前、75歳を祝う言葉が刻まれたワインボトル。
「You Are Loved」と先生の名前、75歳を祝う言葉が刻まれたワインボトル。

記念の写真を撮る時間にも、冗談が飛び交った。夫婦で並ぶ人、先生と肩を組む人。一人ずつ相手の顔を見て、ひと言交わし、カメラに向かって笑う。大きな集合写真のあとにも、そんなやり取りが続いていた。

「思い切って来て、よかった」

帰り際には、連絡先を交わし、撮った写真を送り合い、また会おうという挨拶が続いた。その中に、「思い切って来てよかったです」という言葉があった。集まった人たちのあり方に触れ、参加してみて初めて分かったことがあったのだという。

107キロを歩き切る。三人の洗礼を見守る。75歳を祝う。大きな出来事を数えれば、最終日はそんなふうに記せる。けれど、その間には、二キロを一緒に歩いた会話があり、弟と妹が十字架を担いだ喜びがあり、最後だけでも会いたいと向かって来た足があった。車を出した人、椅子を用意した人、水を配った人の働きもあった。

先生は、この夜も、最後まで背中で見せていくと話した。朝の道でその背中に学んだ人がいる。初めて一緒に歩き、その力強さに驚いた人もいる。ここで受け取ったものを、自分も誰かに分かち合いたいという言葉が、仲間から生まれていた。

富士山を巡る四日間は、ここで終わった。それぞれが受け取った言葉と、一緒に歩いた人の顔を持って、また自分の場所へ帰っていく。別れの挨拶は、「また」。最後の夜にも、次の出会いへの約束が残っていた。

FUJI CROSS WALK — FILM

富士山を歩く、その姿を。

2025年 ダイジェスト

昨年の富士山一周十字架行進ダイジェスト(3分41秒)

2025年のダイジェストをYouTubeで見る ↗

2023年 ダイジェスト

2023年3月31日〜4月3日の富士山一周十字架行進ダイジェスト(2分16秒)

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富士山一周十字架行進 2026|2026年9月24日(木)〜27日(日)|毎朝7:00スタート