富士山一周十字架行進 DAY03 · 2026年9月26日十字架を受け取って初めて、その重さを知った人がいた。歩き続けたい気持ちはあるのに、足がついてこなくなった人もいた。そして、一日の行進が終わってから、ようやく会えた人たちも。
2026年9月26日、富士山一周十字架行進の3日目。雨の道を進むアーサー先生の周りには、朝の集合写真だけでは収まりきらない出会いがあった。途中で加わり、途中で帰り、車から支え、もう一度歩き出す。そのたびに隣を歩く顔ぶれが変わり、新しい話が始まる。
この日の終わり、本栖湖で洗礼を受けたのは、エイジさん、ユウダイさん、あおさんの三人だった。そこに至るまでには、それぞれの道のりがある。湖に入った数分間だけでなく、その前後に交わされた言葉や差し伸べられた手まで、一緒にたどってみたい。
朝の輪に、新しい仲間が加わる
出発前、アーサー先生が選んだ賛美は「この日は主が造られた」。今日という日を与えてくださった神を喜び、歌う。雨が気になる朝にも、まずその声を合わせるところから一日は始まった。
続いて聖書を開いたのは、タナカツさん。マタイの福音書7章、岩の上と砂の上に家を建てた二人の話を読む。どちらの家にも雨が降り、風が吹く。違いが現れるのは、その家が何の上に建てられていたかというところだった。
アーサー先生は、見える建物よりも、見えない土台へと話を進める。人からどう見られるかに心を使い、自分ではない自分を装ってしまうこと。そんなとき、自分の人生を本当に支えているものは何なのか。
これからリヤカーでの長い旅に出るタナカツさんにも、心配はある。それでも、ジーザスを頼ることは無責任になることではない。頼りながら、自分に与えられた感性を使っていくのだと、アーサー先生は励ました。
「絶対にお前は愛されてるから」
この朝には、タナカツさんの旅に関わる新しい仲間も来ていた。初対面の挨拶を受けたアーサー先生は、彼らがタナカツさんを大切に思っているからこそ、ここにいるのだと受け止める。紹介は、肩書を並べるより先に、互いの信頼を確かめるようなやり取りになった。
アーサー先生のバイクチーム「ロードエンジェルス」からも、この日新たに参加するメンバーがいる。後藤さんは、歩道のない場所もあること、周りの車に気をつけることを伝えた。十字架を組み、みんなで写真に収まる。祈りを終えると、それぞれの一歩が動き出した。
出発前、仲間たちで十字架を組み立てる。
DAY03の朝。一緒に歩き始める仲間たち。いつものバイクではなく、自分の足で
歩き始めて間もなく、十字架を肩にしたのは、ハセさんだった。アーサー先生は持ち方を見ながら角度を伝え、同時に、前をよく見るよう声をかける。肩に乗せれば終わりではない。十字架の向き、体との距離、近づいてくる車。歩きながら、一つずつ覚えていく。
ハセさんは、救急隊員として働いてきた人だ。消防の仕事の話になると、華やかな制服の姿だけではない、地道な現場の話が出てくる。これからその仕事を離れ、タナカツさんの旅に同行するつもりだという。
体を動かすことが好きで、その体を人の役に立てたい。そんな話を聞きながら、アーサー先生は、新しい出会いへ進もうとしている彼を喜んだ。
初めて十字架を担ぐハセさん。アーサー先生とともに歩く。限られた時間でも一緒に歩こうと来る仲間がいる一方で、帰り方まで自分で用意してきた人もいる。
途中から加わった地元のバイク仲間には、この日の参加につながる、前日の再会があった。
9月25日、彼はバイクに乗って、御殿場へ向かおうとしていた。そこで出会ったのが、十字架を携えて歩くアーサー先生たちだった。
「十字架行進やってるの知らなくて」
「たまたま俺、御殿場行こうと思って」
そう話す彼に、アーサー先生は「お前いつも知らないな」と返した。行進の日程を知って会いに来たわけではないのに、なぜか今年も出会ってしまう。
「お前といつも巡り会うな」
アーサー先生によれば、こうして偶然顔を合わせるのは、三年続けてのことだった。彼がふだんバイクで使う道と、先生が十字架を担いで進む道。その時間まで重なって、また会えた。
そこで彼は、翌日の行程を尋ねた。
「明日どこ歩くんですか?」
「ちょっとじゃあ明日頑張って来ます」
DAY02|9月25日。バイクで御殿場へ向かう途中、アーサー先生たちと偶然の再会。翌日の参加を約束した。そして9月26日、その言葉どおり、今度は一緒に歩くためにやって来た。
「え、ちょっと歩くスタイルで来たの?」
アーサー先生がバイクはどうしたのかと尋ねると、彼は父親に車で送ってもらったと答えた。帰りの段取りも、すでにできていた。先回りして朝霧の道の駅に自転車を置き、そこまで一緒に歩いたあとは、自転車で帰るつもりなのだ。
「さすが。さすがお前慣れてんな」
前日はバイクで偶然出会い、今日は歩くために準備して来た。その違いは、車で送ってもらったことや、先に置いてきた自転車の話に、具体的に表れていた。
歩きながら、話題は愛車のバイクにも移っていく。「いい音鳴ってたよな」とアーサー先生。彼はマフラーの話をし、バイクを選んだときのことも話した。いつも走っている道を、この日は仲間と足並みを合わせ、話しながら進んでいく。
毎年、不思議と巡り会う人が、今年は翌日の行進にも加わっている。たまたま会えた喜びを、その場の挨拶だけで終わらせず、もう一度会いに来てくれた。前日に交わした短い約束が、今日は一緒に歩く時間になっていた。
DAY03|9月26日。前日再会した青い服の男性が、約束どおり歩くために合流。昨日の歩く速さが話題になったとき、アーサー先生はこう言っていた。
「これ競技じゃないからね」
「大切なのはみんななんだから」
その言葉どおり、速く歩ける人だけの列にはならなかった。
道中では、その場にいない知人のために祈る時間も持たれた。祈りをあとで本人へ届けようという話になる。一緒に歩く人が持ってきた願いは、この道に来られなかった人へも向けられていた。
十字架のチョッパーと、初めて知る重み
ジョシュアさんは、子どもの頃からアーサー先生を知っていて、最近、先生のバイクチーム「ロードエンジェルス」のメンバーになった。この日は十字架を担ぎ、アーサー先生とともに歩いた。
ジョシュアさんが十字架を担ぐと、アーサー先生の紹介が始まった。キューバから来た、サンティアゴ、レゲエダンサー――話はどんどん広がっていく。
そこへ、すかさず訂正が入る。
「全部、全部違う」
本当の経歴紹介ではなく、いつもの冗談だった。普段はローライダーSTに乗っているジョシュアさんが、この日は「十字架のチョッパー」を担いでいる。バイク仲間らしい言い方に変わると、行進の一場面がそのまま彼らの会話になる。
誰かが担いでいる間、その隣では別の人が話を聞く。後ろから声がかかり、持つ位置を直し、交代する。大きな木の十字架は、眺めるだけのものではなく、一人ひとりが体で受け取るものになっていた。
十字架を担ぐジョシュアさんとアーサー先生。冗談を交わしながら歩く。キャンプの話が、これからの生き方の話になる
トクちゃんが十字架を受け取ったときにも、まず出たのは、その重さへの実感だった。上り坂の話になると、アーサー先生はおなじみの言葉を添える。
「人生は上り坂、下り坂、そしてまさか」
けれど、そこから続いたのは、気合だけで坂を越えようという話ではない。長くキャンプをしてきたトクちゃんが、上高地の近くでリトリートのための施設を開こうと動いていることを話すと、アーサー先生は、その仕事が人にどんな時間を渡せるのかを語り始めた。
「自然は心を取り戻す場所だから」
忙しい生活の中では、自分が何を感じているのかさえ、ゆっくり確かめる暇がなくなる。外へ出て、自然と向き合い、人と話す。そこで初めて、抱えていたことが言葉になることもある。
セミナーも、教室の中だけでなく、歩きながらできるのではないか。アーサー先生の提案は、まさにそのとき目の前で起きていることだった。十字架を担いで歩きながら、一人の人が、これからやりたい仕事の話をする。その話を聞く人が、その人自身もまだ言い尽くしていなかった価値を見つけ、返していく。
道端の彼岸花を見つけたときには、アーサー先生がその形に目を留めた。
「すげえアートだよな。芸術作品」
歩いているから目に入り、誰かが声にするから、ほかの人も気づく。会話は自然の話から聖書へ、また目の前の花へと戻ってきた。
小さな応援団も
小さな応援団として加わったのは、チワワのミミとメルの二匹。ミミは生後三か月だ。顔を向けてもらおうと声をかけ、耳の大きさや姿を見て、何度も「かわいい」が続いた。
人だけでなく、犬を連れて訪れる人もいる。十字架や歩く距離の話が続いていたところに、二匹の姿に、話題がすっかり変わる。
ヒロさんと、お茶の先生として紹介された美央さんも、それぞれの形でこの日に加わっていた。ヒロさんの移動する茶室は「ウーバー茶室」と呼ばれ、車で旅をしながら工夫を重ねる暮らしが話題になる。茶道具をどう積むかという話にも、ふだんから手を動かしている人ならではの具体性があった。
一方、歩くうちに靴底がめくれ、いったん車に乗る人もいた。アーサー先生は、またタイミングを見て担げばいいと声をかける。歩く時間と休む時間を入れ替えながら、それぞれが一日の中に居場所を持っていた。
休憩の輪に加わった、小さな応援団。開かなくなったドアに、仲間が集まる
サポートを中心に加わっていた小野さんとは、雨の話になった。今日の雨の降り方や前線の位置について聞き、明日の見通しも尋ねる。小野さんは、明日は今日よりよいはずだと話してくれた。
昼の休憩に入るころ、思いがけない出来事が起きた。車のドアが開かない。バッグのひもが噛み込んでしまったらしい。
荷物をいったん上げてみようか。内側から見れば分かるだろうか。車の周りで相談が始まり、車に詳しい仲間も加わった。アメリカでプロのレーサーをしていた人だという話に、周りから期待の声が上がる。
「精鋭たちが集まった」
すぐに解決とはいかない。少しずつ状態を確かめ、やがてドアが開くと、「さすが」「よかった」と声が重なった。そのあとには、屋根のある場所で雨宿りしようという案内が続く。
十字架を担ぐ姿だけを追っていたら見えない、もう一つの行進の風景だった。困ったことが起きた場所へ、それぞれにできることのある人が集まってくる。
この休憩中にも、「今来ました」と挨拶する人がいた。昼食を取る人、雨を避ける人、到着したばかりの人。立ち止まっている時間にも、会話と出会いは続いていた。
椅子に座っていても、この一日の中にいる
アツシさんのために、オレンジ色の椅子が勧められた。まだもう一度歩きたいという思いはある。しかし、すでに足には負担がきている。
パワーリフティングに取り組んできたアツシさんにとって、挑むことは身近なことだ。それでも、長い道を仲間と歩くことは、一人で重量に向き合うのとは違っていた。
休憩の輪では、自分が実際に参加してみて、少し謙虚になるかもしれないという言葉も出た。人に頑張れと言うだけでなく、無理するなと言えるようになるかもしれない。足が止まった時間に、自分が人へ向けてきた言葉を振り返っていた。
アーサー先生は、後藤さんのことを話した。本当は歩きたい人なのに、サポートに徹してくれている。歩くか歩かないかだけで、その働きを測ることはできない。
歩けないときにも、ジーザスのためにできることがある。その意識を忘れないようにと、アーサー先生は話した。
車を動かす。連絡を取る。必要なものを用意する。その一つひとつを担う人がいて、歩く人は次へ進める。
アツシさんが読み込んできた『You are loved』のことも、ここで話に上った。ボロボロになるまで読んだ本と、聖書につけた目印。その姿を見たタナカツさんも、刺激を受けていたという。
DAY02|前日の一枚。聖書と読み込んだ『You are loved』を手に、アツシさん、アーサー先生、タナカツさん。祈りを合わせ、午後の道へ
再出発の祈りを任されたのは純一さん。手をつないだ輪の中で、半日を終えた感謝と、残りの道も一人ひとりが守られるようにという願いを言葉にした。
「足痛い人は無理しないように。歩きたい人は楽しんで歩きましょう」
アーサー先生の声を受けて、また道へ出る。先には霧がかかっていた。「幻想的ですね」「幻想的だね」と言葉が交わされる。晴れた日の富士山とは違う風景を見ながら、一行は進んだ。
午後の再出発を前に、仲間たちで祈る。
霧のかかる道へ、再び十字架とともに。エイジさんの信仰の告白、そして洗礼へ
エイジさんは、フライデーナイトに足を運び、アーサー先生の話を聞いてきた人だった。この日は、一緒に歩くために参加した。
十字架を担ぎながら、エイジさんは信仰についても話した。自分は信じている。それでも、長く信仰を持つ人と比べて、引け目を感じてしまうところがある。
アーサー先生は、同じものさしで比べなくていいと応じた。あなたには、あなたに与えられたものがある。いま感じているジーザスへの思いを大切にして、関係を深めていけばいい。
湖に入る前に、アーサー先生は、心にジーザスを迎え入れる祈りへと導いた。エイジさんは十字架を担いだまま、自分の心を開いて信じることを祈った。
十字架を担いで歩きながら交わした言葉と祈りが、本栖湖での洗礼へとつながっていった。
会いに来る人へ、時間を渡す
午後には、北海道からはるばるいらしたヒデさんとノリさんが合流した。ヒデさんを迎える声が上がり、ノリさんには一緒に写る写真を撮ってほしいと声がかかる。
「会いたくて会いたくて」
「会いたくて」という言葉に、遠くからこの場所へ足を運んでくださった思いが伝わってくる。途中では、ノリピーさんが楽しんでいるだろうかと、アーサー先生が仲間の様子を尋ねる場面もある。会話の合間にも、ほかの仲間のことを気にかけていた。
タナカツさんとの会話では、これからの旅で、会いに来てくれた人とどう向き合うかも話題になった。自分には進むべき距離がある。予定もある。それでも、人が来てくれたときには、その人と話す時間が大切なのだと、アーサー先生は自分の経験を交えて伝える。
「時間を与えるっていうのも愛だから」
必ずしも長時間でなくていい。何か特別な話をしなければならないわけでもない。一緒にいる時間や何気ない会話に励まされ、その人との関係が育っていく。
それは、これからのための助言であると同時に、この日に何度も起きていたことでもあった。
ジーザスとの出会いに、作り替えられていく
十字架を担ぐユウダイさんが語ったのは、旅の思い出だけではなかった。ジーザスに出会う前の自分と、出会ってから変えられてきた自分。その歩みを、隣を歩く仲間たちに話してくれた。
約四年、バンを乗り継ぎ、犬とともに旅をしてきた。自ら「ずっとヒッピー」と振り返る暮らしの中で、山にテントを張り、人との関わりを断って、自分の内側を見つめ続けた時期もあった。スピリチュアルな体験に深く入り込み、当時はそれでよいと思っていたという。
転機は、約三か月前。山梨で出会った人が、ユウダイさんのために祈り、新約聖書を手渡してくれた。読み始めると、止まらなくなった。
「聖書読んでたらもう答えしか書いてなくて」
それまで正しいと思っていたものを、聖書の言葉に照らして見つめ直すようになった。本質を求め続けてきたユウダイさんに、アーサー先生は、ジーザスが新約聖書との出会いへ導いてくださったのだと語った。
その変化は、身近な人との関係にも現れた。長く一緒に食事をすることのなかったお母さんと、久しぶりに食卓を囲み、二時間ほど話したという。最後には、互いに「ありがとう」「ごめんなさい」を交わすことができた。
「イエス様ありがとう」と祈る日々の中で、人生がよい方向へ変わっている実感がある。ユウダイさんはそう証しした。ジーザスとの出会いによって作り替えられていくことが、お母さんと向き合い、感謝と謝罪を伝え合うという、暮らしの中の出来事になっていた。
今回の参加にも、人と人とのつながりがあった。ブレッシングナイトでマロンさんが話をつなぎ、アーサー先生はユウダイさんと電話で話し、一緒に祈っていた。行進に参加したいという話になり、ユウダイさんは富士山へ来ることを選んだ。
ここに来た本人だけで、この出会いができているのではない。聖書を渡した人、祈った人、電話をつないだ人。アーサー先生は、ユウダイさんの洗礼を、その人たちにも見てもらいたいと話した。
一方、彼の話を隣で聞いていたタナカツさんからは、こんな言葉が出た。
「新約聖書やっぱりちゃんと読もうと思った」
洗礼を受けるために来た人が、自分の経験を話すことで、すでに周りの人を励ましている。アーサー先生も、お互いに感化される出会いなのだと喜んだ。
仲間たちにもこの歩みを語ったユウダイさんに、アーサー先生は、ジーザスにどう出会い、どう変えられたかを伝えることが「証し」なのだと話した。お母さんとの関係が変わったことも、その一つ。自分に起きた変化を語る言葉が、今度は隣を歩く人への励ましになっていた。
十字架を担ぎ、自分の旅と聖書との出会いを語るユウダイさん。歩き終えた先で、湖へ向かう
道の上の会話は、行進の終わりまで続いた。ゴールの声がかかったときにも、ユウダイさんは、アーサー先生の説明が分かりやすかったと伝えていた。
足を引きずりながら進んだ安藤さんにも、「頑張ったね」と声がかかる。
歩行を終えた一行は、車に分かれて本栖湖へ移動した。車のない人には、誰かが席を用意する。着いてからも、着替えられる場所を確かめ、準備を進めた。
クニさんとともに来ていたあおさんも、エイジさん、ユウダイさんとともに、この日、本栖湖で信仰を告白し、洗礼を受けた。道中をともにした仲間たちが、水辺で三人を見守った。
三人の名前が、一人ずつ呼ばれる
湖では、特有の硬い岩場のため、まず足元への注意が伝えられた。裸足ではなく、靴を履いたまま入るように。寒がっている人には、終わったらすぐに着替えられるよう気を配る。
再びみんなで歌ったのは、「主は今生きておられる」。そしてアーサー先生は、洗礼を受ける人に手を挙げてもらった。
一人、二人、三人。
すでに道中で祈った人も、以前に電話で祈った人もいる。ここでもう一度、ジーザスを心に迎える祈りをともにする。アーサー先生は、儀式の形だけでなく、本人が心を開くことの大切さを伝えた。
最初に名前を呼ばれたのは、エイジさんだった。
手を持ち、座るようにすること、ゆっくり行うことが伝えられる。アーサー先生が信仰を確かめると、エイジさんは「信じます」と答えた。父と子と聖霊の御名によって、洗礼が授けられる。
雨の道で十字架を担ぎ、心を開いて祈った人が、今度は湖の水に身をゆだねた。
本栖湖で、洗礼を受けるエイジさん。次はユウダイさん。
「よかったな。ついにこの日を迎えて」
山の中で過ごしてきたこと、新約聖書を読み続けたこと、電話で祈ったこと。それらを話していた人が、ここで自分の信仰を言葉にする。ユウダイさんも「信じます」と答え、洗礼を受けた。
水の中からは、思ったよりぬるい、大丈夫だという声が上がった。外で感じる寒さとは違う、その場で初めて分かる感触だった。
信仰を告白し、洗礼を受けるユウダイさん。そして、あおさんが呼ばれた。
戸惑いを口にする彼女に、アーサー先生は、人間はみんな不完全なのだと返した。クニさんにも、一緒にそばへ来るよう声がかかる。手を取り、体を支える準備をする。
アーサー先生が信仰を尋ねると、あおさんは「はい」と答え、洗礼を受けた。
「おめでとうございます」
「ハグしてあげろ」
祝う声のすぐ隣で、靴を持ってきてほしいという声も飛ぶ。裸足になった人を気遣い、手を貸し、水辺から戻るのを助ける。祈りと、濡れた体を気にかける手とが、同じ場所にあった。
ご主人のクニさんがそばで支える中、洗礼を受けるあおさん。最後に、後藤さん、たけちゃん、純一さんが祈った。雨の中で一日の行程を終えられたこと。三人が洗礼を受けたこと。そして、それぞれがこれからの場所で成長していけるように。
祈りは、その場にいる人だけで終わらなかった。いまこちらへ向かっている人にも、明日の朝に向けて出発する人にも、守りがあるようにと続いた。
遅れて着いた人にも、会えてよかったと言える
洗礼が終わったあと、ようやく到着した一行がいた。ナビの設定で違う方向へ進み、回り道をしてしまったという。アーサー先生は、よくここを見つけたと迎えた。
ケンちゃんにも声がかかる。到着した人たちとの話では、弟さんがその朝に羽田空港へ着き、待ち合わせてから来たことが分かった。弟さんと妹さんは、初めての十字架行進だった。
アーサー先生は尋ねた。
「俺にやれることあります?」
返ってきたのは、何かを頼む言葉ではなかった。
「今日会えただけで十分です」
この日は歩けなかった。それでも、来た意味がなくなったわけではない。明日は朝から一緒に歩こうと話し、到着した人たちも写真の輪に入る。行進の終わりが、その人たちにとっては出会いの始まりになった。
聖書を濡らさないように、帰る車に乗れるように
洗礼を受けたユウダイさんには、「ヨハネ」という洗礼名が贈られた。アーサー先生が思い浮かべたのは、バプテスマのヨハネだったという。エイジさんには「テモテ」。一人ずつ名前を確かめながら、新しい歩みへの言葉が添えられた。
ユウダイさんに手渡された新約聖書には、アーサー先生の十字架行進の写真が入っている。洗礼の記録にサインをし、十字架も贈る。受け取ったものが雨に濡れないよう、袋を用意する声がかかった。
ヒロさんは、暖房のあるトイレの場所を教えてくれた。寒さを感じている人が着替え、温まれるようにするためだった。帰る人を優先して贈り物を整え、車を置いた場所へ戻るための送迎も相談する。
最後の集合写真では、水たまりを避けて並び、前の人がしゃがむ。なかなか一度では終わらない撮影にも、また声が飛び交った。
「また明日」
「みんな風邪ひかないように」
別れの挨拶を交わし、抱き合い、それぞれの車へ向かう。
別れ際、抱擁を交わす二人。誕生日を前に受け取った贈り物
翌9月27日に誕生日を迎えるアーサー先生にとって、この日は74歳最後の日でもあった。周りがその体力に驚くと、先生は、年を重ねる中で、自分にできる最善をしているのだと話した。自分のやり方を、ほかの人に押しつけるのではないとも。
そして、この日の出会いを、誕生日の贈り物をもらったようだと喜んだ。
三人が洗礼を受けた。初めて十字架を担いだ人がいた。休んだ人にも、遅れて着いた人にも、その人だけの一日があった。
本栖湖で交わされた「今日会えただけで十分です」という言葉は、朝に歌った「この日は主が造られた」への、一人の人の返事のようでもある。雨の道を歩いた9月26日。同じ距離を歩いたわけではなくても、最後まで互いに声をかけ、また会う約束を交わす人たちがいた。