
九月の北海道、宗谷岬へ向かう道。冷たい雨の中を、大きな十字架を担いだアーサー・ホーランドが歩いていた。沿道の子どもたちが並んで歩き始め、風と寒さの中なのに、その列には笑顔があった。
2012年、HBC(北海道放送)とUHB(北海道文化放送)のテレビ特集が追ったのは、この旅の終盤だった。アーサー先生は当時60歳。20年ぶり2度目になる日本縦断の、ゴールが近い時期である。
還暦、二度目の日本縦断
出発は2012年3月11日。震災から一年の日に、沖縄から歩き始めた。日本縦断は20年ぶり2度目で、背負う十字架は約30kgあった。
なぜ歩くのかと尋ねられ、アーサー先生は心が動いたからだと答える。大好きな日本を足の裏で味わいながら歩きたいと思った、という。誰かに命じられたわけでも、大きな理由を掲げるのでもない。それでも約3300kmを歩くと決めたところに、この旅の性格が出ている。
番組の取材者が十字架を持たせてもらった場面がある。下に車輪はついているが、五歩歩いただけで自分には無理だと分かった、と取材者は笑った。

支える相棒と、自然という教会
鹿児島から旅を共にしてきたのが、相棒のバングラさんだ。暑い日には歩く距離を控え、涼しい日には少し先まで進む。二人の旅は、天候や体の調子に合わせながら続いてきた。
アーサー先生は、なぜ相棒がついてきたのか分からないと笑う。「この足の中に磁石が入ってんちゃう」と、自分の足が人を引きつけているのだという冗談を飛ばす。軽口の向こうに、長く一緒に歩いた二人の時間がある。
教会の建物は持たない。招かれた先で週末に話し、普段は道を歩く。「俺の教会、これ自然界だから」。そう言って、目の前に広がる風景を見せる。青空を天井、草原を床、鳥の声を賛美歌、風を神の愛のスピリットだと説明した。

歩く背中に人が集まる
アーサー先生が歩き出すと、人が集まってくる。姿を見つけた人が笑顔で近寄り、声をかける。ただ一緒に歩くために、遠くから来る人も多い。
本人は、よい出会いが連鎖しているだけのことだと言う。自分が人生で慰められ、励まされてきたから、今度は自分が誰かを思いやりたい。そういう人たちに支えられて今の自分がある、という話だった。
アーサー先生が繰り返すのは「語らずにして語る」という言葉だ。十字架を担いだ姿を見て、人が何を感じてもいい。説明するより、歩く背中で伝えたい。十字架は愛のシンボルでもある。
長く歩けば足は傷む。それでも体で感じ、体で納得したいから歩くのだと言う。「体が納得しなきゃ、俺は納得できない」。沖縄から履き続けた靴は傷み、足はボロボロになっていた。
雨の日もある。雨具を着れば十字架のシルエットが見えなくなる、とアーサー先生は笑う。木の十字架は雨を含めば重さを増す。それでも雨は神の恵みだと受け止めている。

足をほぐす相棒との時間
宗谷岬まで、あと一日。バングラさんが、アーサー先生の足をほぐしている。先生は痛がりながらも、冗談をやめない。旅が終わって別れたら、夜中に自分の足を探し回るのではないか、と相棒をからかう。
先生はバングラさんを、天使と呼んでいるという。自分を支えてくれる人への感謝と、遠慮なく言い合える親しさが、二人の会話にある。十字架を担いでいるのは先生でも、ここまでの旅には、こうして足を手当てしてくれる相棒がいた。
半年続いた旅も、いよいよ最後の一日を残すだけになった。外の雨は、朝まで降り続いた。

最後の19km
最終日の朝、出発点には全国から人が集まっていた。一緒に歩こうと、番組の終了後に夜行バスで駆けつけた取材者もいる。出発前に短い祈りをささげ、一行は歩き出した。
途中、取材者は十字架を担がせてもらった。担いでみて初めて分かる重さだったという。道中では、アーサー先生と取材者が、なぜか一緒に腕立て伏せを始める。ゴールを目指す途中でも、そんなやり取りで笑い合っていた。
残り8km、残り2.5kmと距離が縮まる。途中からは、ゴールを待ち切れずに出迎えた人たちが次々と列に加わった。一緒に歩く理由は人それぞれだ。それでも、寒い道で歩く人の表情は明るかった。

宗谷岬で
2012年9月、宗谷岬。ゴールを待つ人たちがアーサー先生を迎えた。60歳の挑戦はここで終わった。
だが本人の言葉はそこで止まらない。生きることは挑戦し続けること、だからこれは終わらない挑戦なのだと言う。たどり着いた先にあるのは海だけ、答えを探すのに苦しむのが人生だとも語った。
出会った人に支えられ、また誰かが一緒に歩き始める。その繰り返しの先に、宗谷岬のゴールがあった。お疲れさまと声をかけられた先生は、これからまだ始まるのだと答え、互いに頑張ろうと声を交わした。

2012年のHBC(北海道放送)・UHB(北海道文化放送)のテレビ特集をもとに構成。年齢や状況は2012年当時のものです。